小屋原村(読み)こやはらむら

日本歴史地名大系 「小屋原村」の解説

小屋原村
こやはらむら

[現在地名]大田市三瓶町小屋原さんべちようこやはら

多根たね村の南に位置し、三瓶山の北西麓に立地する。三瓶高原水源とする三瓶川支流に沿って開けた農山村。天文一二年(一五四三)五月一二日の尼子晴久書状(閥閲録)に「石州之内行常・小屋原・加淵長原三ケ所」とみえ、尼子晴久は赤穴久清に新たに三ヵ所の所領を宛行っている。正保国絵図に村名がみえ、高五八七石余。元禄一〇年(一六九七)石見銀山領村々覚によれば田方四九五石余・畑方九四石余、年貢高は米二七七石余・銀七一八匁余。家数は本家七二・門屋三八、人数四六三。文政二年(一八一九)の家数人別牛馬調(野沢家文書)では家数九八・人数三三五、牛一三二・馬三。同一三年の村明細帳(熊谷家文書)によれば高に変化はなく、反別田方五六町八反余・畑方三三町余、家数一二一・人数四三八。農間に男は縄・莚をなうほか、三瓶山に自生する薬草を採取し、近在の市立てで売りさばいていた。


小屋原村
こやはらむら

[現在地名]前橋市小屋原町

西は広瀬ひろせ川をもって下大島しもおおしま村、南は駒形こまがた新田、東は桃木もものき川で上増田かみますだ村、北は笂井うつぼい村と接する。法然の弟子となった大胡実秀の使者に、小屋原の蓮性の名がみえる(法然上人絵伝)。山内上杉氏の所領を示す年月日未詳の上杉氏上州所領目録(彦部文書)に「大胡庄之内」として「小屋原村」とある。寛文郷帳では田方二六〇石九斗余・畑方三八九石五斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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