小山健三(読み)コヤマ ケンゾウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「小山健三」の解説

小山 健三
コヤマ ケンゾウ


肩書
貴院議員(勅選),三十四銀行頭取

生年月日
安政5年6月13日(1858年)

出生地
武蔵国埼玉郡忍城郭内(埼玉県行田市)

学歴
東京攻玉社卒

経歴
長野県、群馬県の教員を経て、明治14年文部省に転じ、長崎県学務課長兼師範学校長、東京高工教授、東京高商校長。また文相秘書官、文部省参事官から31年文部次官、実業教育局長を歴任。32年三十四銀行(三和銀行)に入り、のち頭取。34年大阪銀行集会所委員長兼務、37年大阪手形交換所委員長を務め関西財界を代表する一人。大正期には米価調節調査会、経済調査会の委員を兼ね、大正9年勅選貴院議員。

受賞
勲二等

没年月日
大正12年12月19日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

関連語 学歴

20世紀日本人名事典 「小山健三」の解説

小山 健三
コヤマ ケンゾウ

明治・大正期の実業家 三十四銀行頭取;貴院議員(勅選)。



生年
安政5年6月13日(1858年)

没年
大正12(1923)年12月19日

出生地
武蔵国埼玉郡忍城郭内(埼玉県行田市)

学歴〔年〕
東京攻玉社卒

主な受賞名〔年〕
勲二等

経歴
長野県、群馬県の教員を経て、明治14年文部省に転じ、長崎県学務課長兼師範学校長、東京高工教授、東京高商校長。また文相秘書官、文部省参事官から31年文部次官、実業教育局長を歴任。32年三十四銀行(三和銀行)に入り、のち頭取。34年大阪銀行集会所委員長を兼務、37年大阪手形交換所委員長を務め関西財界を代表する一人。大正期には米価調節調査会、経済調査会の委員を兼ね、大正9年勅選貴院議員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小山健三」の解説

小山健三 こやま-けんぞう

1858-1923 明治-大正時代官僚,実業家。
安政5年6月11日生まれ。高等商業(現一橋大)校長,文部次官などをへて,明治32年三十四銀行頭取。のち大阪銀行集会所,大阪手形交換所の委員長を歴任した。大正9年貴族院議員。大正12年12月19日死去。66歳。武蔵(むさし)忍(おし)(埼玉県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「小山健三」の解説

小山 健三 (こやま けんぞう)

生年月日:1858年6月13日
明治時代;大正時代の官僚;実業家。三十四銀行頭取;貴族院議員
1923年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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