日本大百科全書(ニッポニカ) 「三和銀行」の意味・わかりやすい解説
三和銀行
さんわぎんこう
都市銀行の旧名称。現、三菱(みつびし)UFJ銀行。1933年(昭和8)に当時大阪の地場産業を地盤とする銀行であった鴻池(こうのいけ)、山口、三十四の3銀行が合併して設立された。ピープルズ・バンク(大衆の銀行)をモットーに、創立期より大衆化路線を推し進め、預金・貸出両面で個人および中小企業の占める割合が上位都市銀行のなかでは非常に高いという特徴があった。他行に先駆けてカード・ローンに先鞭(せんべん)をつけたことにみられるように、新商品開発能力にも優れていた。日商岩井、ニチメン(前記2社は2004年に合併、双日(そうじつ)となる)、大林組、日立造船、神戸製鋼所などとの間で企業グループを形成したが、この点では財閥系銀行に後れをとっていた。海外業務部門にも力を入れ、なかでも中国に対して積極的なアプローチをしていた。2000年(平成12)3月、あさひ銀行、東海銀行との3行による事業統合の方針を発表したが、その後の意見の対立から6月、あさひ銀行が離脱。同年7月には三和、東海、東洋信託銀行(現、三菱UFJ信託銀行)の3行は共同持株会社のもと、2002年4月をめどに合併・統合する方針を発表した。2001年4月持株会社UFJホールディングス設立。2002年1月、東海銀行と合併し、UFJ銀行となった。2005年10月にはUFJホールディングスと三菱東京フィナンシャル・グループとの合併により、三菱UFJフィナンシャル・グループが誕生。UFJ銀行は2006年1月東京三菱銀行と合併して三菱東京UFJ銀行(2018年4月、三菱UFJ銀行と改称)となった。2001年9月当時の資本金8435億8200万円、預金残高29兆7618億円、貸出残高28兆2793億円であった。
[外山茂樹 2018年8月21日]