20世紀日本人名事典 「小山大月」の解説 小山 大月コヤマ タイゲツ 大正・昭和期の日本画家 生年明治24(1891)年 没年昭和21(1946)年7月2日 出生地東京・神田 本名小山 光造 経歴松本楓湖の安雅堂画塾に学び、大正3年今村紫紅らと赤曜会を結成、目黒派の1人として活動する。5年再興院展に初入選し、10年再び入選。以後、院展に12年「麗日春禽」、13年「春光煕々」「冬日林叢」、14年「浅春」「芍薬」、15年「梅雨」などの大作を発表し、15年同人に推挙された。昭和に入ってからも院展に、13年「武蔵野六題」、17年「南方の花二題」などを発表している。装飾的な色彩と写実的な描写を組み合わせた花鳥画を描いた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小山大月」の解説 小山大月 こやま-たいげつ 1891-1946 大正-昭和時代の日本画家。明治24年12月14日生まれ。安雅堂画塾で松本楓湖(ふうこ)に師事。大正3年速水御舟(はやみ-ぎょしゅう)らと赤曜会を結成。5年院展で「桃花鳴鳩」が初入選,以後も院展で活躍。花鳥画をえがいた。昭和21年7月2日死去。56歳。東京出身。本名は光造。作品に「浅春」「梅雨」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by