小山弘健(読み)コヤマ ヒロタケ

20世紀日本人名事典 「小山弘健」の解説

小山 弘健
コヤマ ヒロタケ

昭和期の経済学者,評論家 長野大学教授



生年
明治45(1912)年6月21日

没年
昭和60(1985)年1月16日

出生地
大阪府池田市

学歴〔年〕
天王寺商〔昭和5年〕卒

経歴
商業学校時代から階級運動に参加、卒業後は船員(大阪商船会社)をしながら「資本論」などマルクス主義文献を猛勉強。昭和12年唯物論研究会に入会、戦前共産党壊滅後の理論活動の一翼を担い、20歳代半ばに「近代兵学の哲学的基礎」を「唯物論研究」に連載。16年大阪商船会社退社。戦時下では近代軍事技術史、日本軍事工業史をまとめた。戦後は21年民主主義科学者協会(民科)に入会、社会経済労働研究所を主宰し、「社会経済労働叢書」など発刊。24年民科大阪副支部長・幹事長。38年東京に現代史研究所を設立し、現代史の共同研究や出版活動を行う。この間、戦後いち早く日本共産党に入党、25〜30年の日共分裂で反主流として除名されたあとは「日本資本主義論争史」(上下)に専念、「日本マルクス主義史」はじめ共産党史、帝国主義史、天皇制研究などの業績刊行。また43年からは本州大学(現・長野大学)教授として日本経済論や労働運動史などを講じる一方、教職員組合委員長として賃金差別問題などで闘争をしていた。他の主著に「日本帝国主義史」(全3巻)「図説世界軍事技術史」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小山弘健」の解説

小山弘健 こやま-ひろたけ

1912-1985 昭和時代の歴史学者。
明治45年6月21日生まれ。マルクス主義研究や軍事技術研究から出発。日本の近代経済史や労働・社会運動史の研究に力をそそぎ,「日本資本主義論争史」(編著),「日本帝国主義史」(共著)などおおくの著作をのこした。昭和43年本州大(現長野大)教授。昭和60年1月16日死去。72歳。大阪出身。天王寺商業卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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