小峯村(読み)こみねむら

日本歴史地名大系 「小峯村」の解説

小峯村
こみねむら

[現在地名]平塚市豊田小嶺とよだこみね北豊田きたとよだ東豊田ひがしとよだ

南東境をたま(現渋田川)が流れ、西は豊田本郷とよだほんごう村、北は小鍋島こなべしま村、南は宮下みやした村に接する。「風土記稿」によれば豊田本郷村からの分村で、豊田四ヵ村の内で小高い土地柄であることから村名が起こったとする。分村の時期は不明。元禄郷帳に「豊田小峯村」とある。

近世は初め幕府直轄領、享保一八年(一七三三)以降旗本奥村領。


小峯村
おみねむら

[現在地名]清和村小峰おみね

西は貫原ぬきはる村、東は栃原とちはら村に接する。日向往還が東西に通る。文明四年(一四七二)八月二八日の阿蘇山本堂造営棟別料足日記写(阿蘇家文書)に「おうミね」とあり、家数二五と記される。元禄国絵図に「大野村之内小嶺」とみえる。阿蘇郡菅尾手永に属し、「一統志」には「小嶺」とあり、「国誌」によれば高一三一石余。「一統志」にみえる「大峯山西福寺観音」の寺跡には仏堂が残り、現在も十一面観音・毘沙門天・不動明王・神像を祀る。元文元年(一七三六)の棟札が保存され、創建は中世末期とみられる。肥後国中寺社御家人名附には地侍一人がみえる。旧日向往還が通る虎御前とらごぜんと称される地は、曾我十郎の愛人虎御前が十郎の死後全国を順回した際、当地に松を植えたという伝説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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