日本歴史地名大系 「小日向川添屋敷」の解説 小日向川添屋敷こびなたかわぞえやしき 東京都:文京区旧小石川区地区小日向川添屋敷[現在地名]文京区関口(せきぐち)二丁目小日向水道(こびなたすいどう)町の西方、北を神田上水、南を江戸川に画された中洲状の地にある年貢町屋。神田上水を隔てて北は長光(ちようこう)寺境内、江戸川を隔てて南は関口水道(せきぐちすいどう)町。北方に離れて音羽(おとわ)町九丁目の西裏に飛地がある。同所の南は音羽町八丁目の飛地、西は大泉(だいせん)寺・洞雲(とううん)寺境内、北は護国寺領の畑地などで、音羽町九丁目との間を西側の鼠(ねずみ)ヶ谷下水(幅六尺)が南流。当地は延宝年間(一六七三―八一)には医師吉岡宗所有の畑地で、百姓市郎兵衛が小作していた。のち市郎兵衛家がこの畑地を譲り受け、貞享二年(一六八五)に二代目市郎兵衛が町屋御免を願出て以来、しばしば町屋家作を願出て、享保七年(一七二二)に公許された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by