鎌倉時代中末期,備前国長船(おさふね)に住した刀工。長船派の祖光忠の子と伝え,1274年(文永11)から1304年(嘉元2)までの作刀が現存する。古来,同名2代あるといい,初代を順慶長光,2代を左近将監長光と呼んでいるが,順慶銘の作は長光銘の作と大きく相違し,今日では別人とする説が強く,また2代説のほか1人説,3人説なども説かれている。作風は鎌倉中期ころには光忠に似た大丁子(おおちようじ),蛙子(かわずこ),丁子乱の華やかなものがあり,末期ころには直刃(すぐは),小丁子に互の目(ぐのめ)を交えた穏やかなものが多くなる。長光の一門には子の景光を初めとして,真長,長元,近景らの名工が多く出,以後長船派(長船物)は繁栄することとなった。
執筆者:原田 一敏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(原田一敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
刀工の名。同名が多数いるが,備前長船(おさふね)派の長光が著名。光忠の子で,左衛門尉・左近将監。年紀は文永期頃からある。御物1,大般若長光など太刀5・薙刀1が国宝。重文は28。嘉元期から銘振りが変わって以後を2代というが,左近将監を冠したものを初代の晩年作とみるか2代作とみるかは判断がむずかしい。「往昔抄」では初代長光は仏門にはいって順慶と号したとするが,順慶の作風は長光より古風という。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…文献では近忠を祖としているが,作品が現存せず,その子光忠を事実上の祖としている。光忠には年紀作はないが,その子長光には文永11年(1274)紀の作があり,活躍年代がほぼ知られる。長光の子あるいは弟子に景光,真長(さねなが),近景,景光の子に兼光がおり,いずれも名作をのこしている。…
※「長光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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