コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

神田上水 かんだじょうすい

6件 の用語解説(神田上水の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

神田上水
かんだじょうすい

徳川家康が江戸開府時飲用水を引くため開削した上水道。日本最古の上水で,天正 18 (1590) 年大久保忠行によって開設された。井の頭池,善福寺池,妙正寺池の湧水を水源とする神田川水系の水を大洗堰 (文京区関口) によりせき止め,素掘りで小石川後楽園を経てお茶の水堀の上を木樋で渡し,神田,日本橋方面へ供給。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

かんだ‐じょうすい〔‐ジヤウスイ〕【神田上水】

江戸初期、江戸に設けられた日本最古の上水道。水源は現武蔵野市の井(い)の頭(かしら)池で、神田・日本橋・京橋などに給水した。明治36年(1903)廃止。現在は神田川の一部。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

神田上水【かんだじょうすい】

江戸開府(1590年)に際し徳川家康の命により大久保忠行が開設したとも,慶長年中(1596年―1615年)ころに内田六次郎(のちに水元役)が開いたとも伝える日本最初の上水道。
→関連項目井の頭公園神田川上水道

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

かんだじょうすい【神田上水】

江戸の上水道。井の頭上水ともいった。玉川上水とともに江戸の二大水道として,江戸の武家・寺社・町方の生活を支えるのに大きな役割を果たした。水源は武蔵野の井の頭池で,途中善福寺池から流れ出る善福寺川,妙正寺池から流れ出る妙正寺川の2流を合わせ,淀橋で玉川上水の助水を入れた。井の頭池から江戸に入る目白下大洗堰まで5里足らず,さらに関口水道町,小日向水道町,金杉水道町の3町を通り水道橋に至る。ここまでが開渠で水元と呼ばれる

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

かんだじょうすい【神田上水】

江戸幕府開設に伴い江戸の人々の飲料水用に建設された上水道。武蔵野市の井之頭池を水源とし、目白・小石川を経て、埋め立て地で水質の悪い下町に給水した。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

神田上水
かんだじょうすい

江戸・東京の上水道。井の頭(いのかしら)上水ともいう。開設後、1900年(明治33)まで上水道として使われ、玉川(たまがわ)上水と並び江戸・東京の二大水道といわれた。その地の人々の都市生活を支えるのに大きな役割を果たしてきた。水源は武蔵野(むさしの)の井の頭池(東京都三鷹(みたか)市)で、途中善福寺(ぜんぷくじ)池から流れ出る善福寺川、妙正寺(みょうしょうじ)池から流れ出る妙正寺川の2流をあわせ、淀橋(よどばし)で玉川上水の助水を入れた。開設は徳川家康の命を受けた大久保藤五郎が1590年(天正18)に家康の関東入国に先だって開いたとも、また内田六次郎が慶長(けいちょう)(1596~1615)ころに開いたとも伝えられている。大久保藤五郎は上水開設後、主水の名を与えられ、江戸城御用の菓子司となったが、内田六次郎は神田上水水元役となり、この上水の経営にあたった。以後内田家は、神田上水水元役を受け継いだが、1770年(明和7)茂十郎の代に退役を命じられ、幕府が直接経営することになった。神田上水は井の頭池より目白(めじろ)下大洗堰(ぜき)まで5里(19.6キロメートル)足らず、さらに水道橋まで開渠(かいきょ)であるが、神田川を掛樋(かけひ)で渡した以遠の江戸城郭内や武家方・町方への配水は暗渠(あんきょ)になっている。水道料は水銀(みずぎん)とよばれ、武家方からは石高割(こくだかわり)で、町方からは屋敷間口(まぐち)割で徴収した。水元役内田家は、1732年(享保17)から同家で水銀を徴収していたと称しているが、同家の水元役退役後は江戸城御金蔵(おかねぐら)納めになった。明治維新以後は東京府、民部省、工部省、大蔵省と、その所管をかえたが、さらにふたたび東京府を経て東京市へ移った。近代水道の創設に伴って1901年(明治34)廃止。[伊藤好一]
『堀越正雄著『日本の上水』(1970・新人物往来社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の神田上水の言及

【神田川】より

…近世には水質も良く,水量も確保できたから,現在の文京区関口1丁目あたりで取水のうえ,文京区・千代田区の一部へ配水されていた。そのため神田川は長い間,取水地点より上流部を神田上水,JR飯田橋駅付近までを江戸川,下流部を神田川として区別していた。下流部のうちJR御茶ノ水駅付近に見られる切割の河道は,江戸幕府の手による人工河川である。…

※「神田上水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

神田上水の関連キーワード上水上水道井の頭公園玉川庄右衛門玉川上水通船東京都小平市上水本町玉川清右衛門井の頭上水上水道計画宮古島上水道企業団

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone

神田上水の関連情報