コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

神田上水 かんだじょうすい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

神田上水
かんだじょうすい

徳川家康が江戸開府時飲用水を引くため開削した上水道。日本最古の上水で,天正 18 (1590) 年大久保忠行によって開設された。井の頭池,善福寺池,妙正寺池の湧水を水源とする神田川水系の水を大洗堰 (文京区関口) によりせき止め,素掘り小石川後楽園を経てお茶の水堀の上を木樋で渡し,神田,日本橋方面へ供給。承応3 (1654) 年に玉川上水が完成するまで江戸の水道の主役であった。 1898年淀橋浄水場開設に伴い,1901年一般への給水を停止した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

かんだ‐じょうすい〔‐ジヤウスイ〕【神田上水】

江戸初期、江戸に設けられた日本最古の上水道。水源は現武蔵野市井の頭公園内の井(い)の頭(かしら)池で、神田日本橋京橋などに給水した。明治36年(1903)廃止。現在は神田川の一部。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

神田上水【かんだじょうすい】

江戸開府(1590年)に際し徳川家康の命により大久保忠行が開設したとも,慶長年中(1596年―1615年)ころに内田六次郎(のちに水元役)が開いたとも伝える日本最初の上水道。
→関連項目井の頭公園神田川上水道

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

かんだじょうすい【神田上水】

江戸の上水道。井の頭上水ともいった。玉川上水とともに江戸の二大水道として,江戸の武家・寺社・町方の生活を支えるのに大きな役割を果たした。水源は武蔵野の井の頭池で,途中善福寺池から流れ出る善福寺川,妙正寺池から流れ出る妙正寺川の2流を合わせ,淀橋で玉川上水の助水を入れた。井の頭池から江戸に入る目白下大洗堰まで5里足らず,さらに関口水道町,小日向水道町,金杉水道町の3町を通り水道橋に至る。ここまでが開渠で水元と呼ばれる。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

かんだじょうすい【神田上水】

江戸幕府開設に伴い江戸の人々の飲料水用に建設された上水道。武蔵野市の井之頭池を水源とし、目白・小石川を経て、埋め立て地で水質の悪い下町に給水した。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

神田上水
かんだじょうすい

江戸・東京の上水道。井の頭(いのかしら)上水ともいう。開設後、1900年(明治33)まで上水道として使われ、玉川(たまがわ)上水と並び江戸・東京の二大水道といわれた。その地の人々の都市生活を支えるのに大きな役割を果たしてきた。水源は武蔵野(むさしの)の井の頭池(東京都三鷹(みたか)市)で、途中善福寺(ぜんぷくじ)池から流れ出る善福寺川、妙正寺(みょうしょうじ)池から流れ出る妙正寺川の2流をあわせ、淀橋(よどばし)で玉川上水の助水を入れた。開設は徳川家康の命を受けた大久保藤五郎が1590年(天正18)に家康の関東入国に先だって開いたとも、また内田六次郎が慶長(けいちょう)(1596~1615)ころに開いたとも伝えられている。大久保藤五郎は上水開設後、主水の名を与えられ、江戸城御用の菓子司となったが、内田六次郎は神田上水水元役となり、この上水の経営にあたった。以後内田家は、神田上水水元役を受け継いだが、1770年(明和7)茂十郎の代に退役を命じられ、幕府が直接経営することになった。神田上水は井の頭池より目白(めじろ)下大洗堰(ぜき)まで5里(19.6キロメートル)足らず、さらに水道橋まで開渠(かいきょ)であるが、神田川を掛樋(かけひ)で渡した以遠の江戸城郭内や武家方・町方への配水は暗渠(あんきょ)になっている。水道料は水銀(みずぎん)とよばれ、武家方からは石高割(こくだかわり)で、町方からは屋敷間口(まぐち)割で徴収した。水元役内田家は、1732年(享保17)から同家で水銀を徴収していたと称しているが、同家の水元役退役後は江戸城御金蔵(おかねぐら)納めになった。明治維新以後は東京府、民部省、工部省、大蔵省と、その所管をかえたが、さらにふたたび東京府を経て東京市へ移った。近代水道の創設に伴って1901年(明治34)廃止。[伊藤好一]
『堀越正雄著『日本の上水』(1970・新人物往来社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の神田上水の言及

【神田川】より

…近世には水質も良く,水量も確保できたから,現在の文京区関口1丁目あたりで取水のうえ,文京区・千代田区の一部へ配水されていた。そのため神田川は長い間,取水地点より上流部を神田上水,JR飯田橋駅付近までを江戸川,下流部を神田川として区別していた。下流部のうちJR御茶ノ水駅付近に見られる切割の河道は,江戸幕府の手による人工河川である。…

※「神田上水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

神田上水の関連キーワード新宿(しんじゅく)水道橋(東京都)後楽園(東京)大久保藤五郎中野(区)文京(区)江戸町年寄埋め立て地杉並(区)水道育ち千川上水小石川関口台御府内高井戸江戸川水質

今日のキーワード

隗より始めよ

《中国の戦国時代、郭隗(かくかい)が燕(えん)の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

神田上水の関連情報