デジタル大辞泉 「文永」の意味・読み・例文・類語 ぶんえい【文永】 鎌倉中期、亀山天皇・後宇多天皇の時の年号。1264年2月28日~1275年4月25日。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「文永」の意味・読み・例文・類語 ぶんえい【文永】 鎌倉時代、亀山、後宇多両天皇の代の年号。弘長四年(一二六四)二月二八日に改元、文永一二年(一二七五)四月二五日に至って次の建治となる。出典は「後漢書‐荀悦伝」の「漢四百有六載、揆レ乱反レ正、統レ武興レ文、永惟二祖宗之洪業一、思光二啓万嗣一」。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「文永」の解説 ぶんえい【文永】 日本の元号(年号)。鎌倉時代の1264年から1275年まで、亀山(かめやま)天皇、後宇多(ごうだ)天皇の代の元号。前元号は弘長(こうちょう)。次元号は建治(けんじ)。1264年(弘長4)2月28日改元。1264年は辛酉革命(しんゆうかくめい)の年にあたる1261年(弘長1)の4年後で、甲子(かっし)の年。甲子は徳を備えた人に天命が下される革令(かくれい)の年で変乱が多いとされることから、先例にならい甲子革令を防ぐ目的で改元が行われた(革年改元)。『後漢書(ごかんじょ)』を出典とする命名。文永年間の鎌倉幕府の将軍は宗尊(むねたか)親王(6代)、惟康(これやす)親王(7代)。執権は北条長時(ながとき)(6代)、北条政村(まさむら)(7代)、北条時宗(ときむね)(8代)。1266年(文永3)、25歳となった将軍の宗尊親王は謀叛の嫌疑をかけられ、北条氏当主の時宗らにより将軍職を解任され京に送還された。同年7月、宗尊親王の嫡男で3歳の惟康親王が新将軍に就任した。1268年(文永5)、高麗(こうらい)の使者がモンゴル帝国皇帝のフビライの国書をもって来日したが、幕府は返書を拒絶した。1274年(文永11)、モンゴルと高麗の連合軍が対馬、博多湾に来襲し、文永の役(元寇)が起こった。 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報