ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミカエル8世」の意味・わかりやすい解説
ミカエル8世
ミカエルはっせい
Michael VIII Palaeologus
[没]1282.12.11. トラキア
ビザンチン皇帝(在位 1259~82)。名門パレオロゴス家の出で,ゼレスとメルニクの町の司令官を務め,1258年ニカイア帝国のヨハネス4世の摂政となる。翌 1259年副帝となり,1261年にはラテン帝国の首都コンスタンチノープルを奪回,ヨハネス4世を退け即位,パレオロゴス朝を創始した。ジェノバ,ベネチアと同盟条約を結び,1262年ブルガリア領の一部を,1264年にはエピルスを占領,1264~72年タタール侵入を防いだ。1276年にはエーゲ海の制海権獲得に成功したが,軍事援助と交換に与えた関税特権により帝国は経済的自立を失った。1274年リヨン公会議で東西両教会の統一宣言に署名,ローマ教皇の援助を期待するが実現せず,かえって国内の宗教的分裂を招いた。しかし1259年シチリア王マンフレート,1281年アンジュー伯シャルル1世のコンスタンチノープル奪回作戦を打ち破り,帝国最長の王朝の基礎を築いた。
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