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沼田荘 ぬたのしょう

百科事典マイペディアの解説

沼田荘【ぬたのしょう】

安芸国沼田郡の荘園。本荘と新荘からなり,沼田川河口,現広島県三原西部から本郷町(現・三原市)にかけた地域に本荘が,沼田川支流椋梨(むくなし)川流域の現賀茂郡一帯の山間地と飛地の竹原市に新荘があった。開発領主沼田氏の寄進で成立したとみられるが詳細は不明。平安末期には京都蓮華王院領となっている。承久の乱後,領家西園寺家預所(あずかりどころ)は橘氏となる。平氏にくみして壇ノ浦に滅んだ沼田氏に代わり,東国から小早川氏地頭として入部,本荘には惣領(そうりょう)の沼田小早川家,新荘には椋梨小早川家がそれぞれ城を構え,在地領主として成長した。13世紀中頃の見作田(げんさくでん)は両荘併せて461町余。両家とも荘内に一分(いちぶ)地頭として庶子家を分出,1235年には一族の団結を図るため不断念仏堂が建立され,堂修理などの料田と称して沼田川下流域の塩入荒野の干拓が行われた。干拓地の近くには本市・新市の市場集落が形成され,富裕な市場商人たちは小早川氏の朝鮮貿易の一翼を担った。1405年の地頭請で小早川氏は下地支配権を獲得,自検地も行って領主としての地位を固めていった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ぬたのしょう【沼田荘】

安芸国沼田郡(現,広島県三原市一帯)の荘園。沼田川流域一帯を中心として沼田郡の大部分を占めたもので,沼田本荘と新荘とに大別される。本荘だけでも7郷,あるいは8郷から構成されていた。本荘は河口に近く平野部の多い現三原市の西部や,その西隣の本郷町一帯であり,新荘は沼田川上・中流部の山あいの村々や,さらに南にとんで現竹原市内の海ぞいの地域までを含んでいる。平安末期には京都蓮華王院の所領となっている。成立の経緯は明らかでないが,おそらく沼田氏が開発領主として荘域の開発・拡大につとめ,同氏によって平清盛造営の蓮華王院に寄進されたものと思われる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

沼田荘
ぬたのしょう

安芸(あき)国沼田郡の沼田川流域に広がった荘園(しょうえん)。現在の広島県三原市、竹原市にまたがる広範囲な地域を占め、沼田本荘と新荘とからなる。平安末期には蓮華王院(れんげおういん)領で、下司(げし)は当地の開発領主と考えられる沼田氏であったが、平氏とともに滅亡した。平家没官(もっかん)領となった当荘には、土肥実平(どいさねひら)とその子遠平(とおひら)が地頭(じとう)として入ってくる。以後その子孫小早川(こばやかわ)氏が地頭職(しき)を相伝し、荘内本郷の高山城に本拠を置いて荘支配を行った。鎌倉時代の検注目録によると、本荘の現作田(げんさくでん)は250町余、新荘方は210町余である。当荘は交通の要衝にあり、荘内安直(あじか)郷には沼田本市(いち)、また小坂(おさか)郷には新市があり、大規模な市場集落を成立させていた。[酒井紀美]
『石井進著『日本の歴史12 中世武士団』(1974・小学館)』

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世界大百科事典内の沼田荘の言及

【市】より

…室町初期には,奈良では,南市,北市,高天市が毎日交替に開かれ,南市には30余の市座があった。1433年(永享5),安芸国沼田(ぬた)荘の安直(あじか)郷の市は,在家300宇,小坂郷新市(塩入市庭)は在家150宇を数えるほどの繁栄ぶりであった。これらに立売商人を入れると相当の規模をもつ。…

【本郷[町]】より

…山地が多いが,南東流する沼田(ぬた)川に沿って肥沃な沖積平野がひらけ,南東部で梨和川,尾原川などが合流する。古代から中世にかけて沼田荘の中心地で,沼田本郷とよばれた。沼田荘地頭小早川氏は沼田川を挟んで高山城,新高山(にいたかやま)城を築き,居城とした。…

※「沼田荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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