小林多津衛(読み)コバヤシ タツエ

20世紀日本人名事典 「小林多津衛」の解説

小林 多津衛
コバヤシ タツエ

大正・昭和期の作家,平和運動家



生年
明治29(1896)年8月

没年
平成13(2001)年3月17日

出身地
長野県望月町

学歴〔年〕
長野師範〔大正7年〕卒

主な受賞名〔年〕
佐久文化賞(特別賞)〔昭和58年〕

経歴
長野師範学校時代に武者小路実篤柳宗悦らの白樺派に出会い、そのヒューマニズム共鳴。卒業後は、“白樺教師”として個性尊重の自由教育を実践。長野県各地教職を経て、小諸第二小学校校長、岩村田小学校校長、北佐久教育会長となる。昭和30年に公職を離れ、長野県望月町に帰郷。ロマン・ロラン、シュバイツァーガンジー影響を受け、45年頃より赤十字国家論を唱え、日本は防衛費を医療費に振り替え、医師と医療品を世界に届けるべきだと提言した。のち個人雑誌「協和通信」の発刊を始め、同国家論を展開。編纂書に「北佐久郡志」、著書に「善意を世界に」「美と真を求めて」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小林多津衛」の解説

小林多津衛 こばやし-たつえ

1896-2001 大正-昭和時代の教育者。
明治29年8月7日生まれ。大正7年から長野県内の小学校で白樺派の自由教育をおこなう。また柳宗悦の影響をうけ,信州民芸運動を推進する。昭和21年北佐久教育会長となり,「北佐久郡志」の刊行などに尽力。在任中から国際平和をうったえ,56年「協和通信」を発行した。平成13年3月17日死去。104歳。長野県出身。長野師範(現信州大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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