柳宗悦(読み)やなぎ むねよし

百科事典マイペディアの解説

柳宗悦【やなぎむねよし】

思想家,民芸運動の創始者。東京生れ。学習院高等科時代に《白樺》創刊に参加。東大文学部で心理学を専攻。B.リーチに触発されてW.ブレイクを研究,神秘主義思想にも打ち込む。一方,朝鮮の李朝陶磁を知り,日本の朝鮮政策を批判すると同時にソウルに朝鮮民族博物館を開設。次いで日本の生活雑器に無名の工人の生みだす美を見いだし,1926年浜田庄司河井寛次郎らとともに〈民芸〉という言葉を創出して,民芸運動を起こした。1931年雑誌《工芸》を創刊し,木食(もくじき)上人の彫刻や各地民窯の雑器,李朝陶磁などの研究紹介。1936年には東京駒場に日本民芸館を設立し,その館長となる。《宗悦全集》22巻(25冊)がある。
→関連項目白樺派民芸民窯棟方志功モリス柳宗理

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

柳宗悦 やなぎ-むねよし

1889-1961 大正-昭和時代の哲学者,民芸運動の創始者。
明治22年3月21日生まれ。柳楢悦(ならよし)の3男。柳兼子(かねこ)の夫。「白樺」同人となりB.リーチを知る。西洋,朝鮮,日本の美術と宗教を研究。生活に根ざした民衆的工芸に美を発見し,「民芸」の語をつくる。浜田庄司,河井寛次郎らと民芸の普及につとめ,「工芸」を創刊。昭和11年日本民芸館を創設。32年文化功労者。昭和36年5月3日死去。72歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「美の法門」など。
【格言など】美と醜が切り離されることなく存在するこの世界全体を受け入れる視点を(「美の法門」)

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江戸・東京人物辞典の解説

柳宗悦

1889〜1961(明治22年〜昭和36年)【日本民芸運動創始者】無名の匠が連綿と作り上げてきた生活工芸品に「用の美」を見い出した。 民芸運動の父。大正・昭和期の思想家、日本民芸運動の創始者。東京都出身。東大卒。1910年(明治43)「白樺」創刊の頃英国人陶芸家バーナードリーチに出会い、朝鮮白磁に日常生活の工芸品に「用の美」を見い出して民芸運動を起こす。1924年(大正13)朝鮮民族美術館をソウルに設立し、1936年(昭和11)には日本民芸館を開設、館長となる。英米文学からアイヌ、沖縄、台湾の文化まで、東西の枠組みを越えた研究を行った。「柳宗悦全集」全22巻。

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世界大百科事典 第2版の解説

やなぎむねよし【柳宗悦】

1889‐1961(明治22‐昭和36)
哲学者,民芸運動の創始者。東京に生まれた。父は海軍少将で数学者柳楢悦(ならよし),母は勝子(柔道家嘉納治五郎の姉)。学習院高等科のころ同窓生と《白樺》を創刊。その美術面をうけもち,宗教哲学,心霊学についての論文を寄稿。《科学と人生》(1911)を東大在学中に刊行。1913年東京帝国大学文学部心理学科を卒業。翌年,声楽家中島兼子と結婚。学生時代からウィリアム・ブレークを研究し,14年《ヰリアム・ブレーク》を出版。

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大辞林 第三版の解説

やなぎむねよし【柳宗悦】

1889~1961) 民芸研究家。東京生まれ。東大卒。学習院高等科在学中に、雑誌「白樺」創刊に参画。東洋大教授として宗教学を講ずるかたわら、美術研究にも傾注、民芸運動を提唱。ソウルに朝鮮民族美術館を開設。また東京駒場に日本民芸館を設立。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

柳宗悦
やなぎむねよし

[生]1889.3.21. 東京
[没]1961.5.3. 東京
美術評論家,民芸運動の主唱者,宗教哲学者。 1910年,学習院在学中に志賀直哉らと『白樺』を創刊。 1913年東京帝国大学哲学科卒業。来日した B.リーチを知り終生の親交を結ぶ。 1915年朝鮮に旅行してその美術に心を奪われ,1924年京城 (現ソウル) に朝鮮民族美術館を開設。 1919~23年東洋大学宗教学教授。 1923年甲州で2体の仏像の美しさにひかれ,その作者木喰五行明満を見出した。やがて民衆のつくった雑器の美に注目し,民衆的工芸の意味で「民芸」なる語をつくった。富本憲吉浜田庄司河井寛次郎らを知り,1926年「日本民藝美術館設立趣旨」を発表。 1929年ハーバード大学で仏教美術を講じ,1931~51年雑誌『工芸』刊行。 1936年東京,駒場に日本民藝館を創設し初代館長を務める。第2次世界大戦後は民芸運動の総括者として活躍。 1957年文化功労者。主著『柳宗悦選集』 (10巻) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

柳宗悦
やなぎむねよし
(1889―1961)

美術評論家、宗教哲学者。民芸運動の提唱者として知られる。東京生まれ。父は海軍少将で数学者の柳楢悦(ならよし)。学習院を経て、東京帝国大学文学部心理学科を卒業(1913)。学習院高等科在学中に文芸雑誌『白樺(しらかば)』の創刊(1910)に加わり、同人となる。のち朝鮮の工芸や木食上人(もくじきしょうにん)の彫刻、ブレイクとホイットマンの詩を紹介。大正末期より民芸美論をたて、講演と調査、収集のために日本全国と海外各地を旅行した。志賀直哉(しがなおや)、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)、河井寛次郎、浜田庄司(はまだしょうじ)、バーナード・リーチらの文学者や工芸家と同志的な交流をもち、民芸運動の普及に努めた。雑誌『工芸』『民芸』を創刊し、1936年(昭和11)に東京・駒場(こまば)に日本民芸館を創設、それまで顧みる者のなかった民衆の工芸の美を解明した功績は大きい。生涯を通じて直観によって打ち立てた独自の東洋美学は、著作『雑器の美』(1926)、『日本の民芸』(1960)など数十冊に収められている。1957年(昭和32)文化功労者。
 なお、夫人の柳兼子(かねこ)(旧姓中島。1892―1984)はアルト歌手。ドイツ歌曲に定評があり、1972年芸術院会員に選ばれた。[永井信一]
『『柳宗悦全集 著作篇』全22巻(1980~1992・筑摩書房) ▽鶴見俊輔著『柳宗悦』(1976・平凡社/平凡社ライブラリー) ▽寿岳文章著『柳宗悦と共に』(1980・集英社)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

やなぎ‐むねよし【柳宗悦】

美術評論家。東京出身。宗教哲学研究のため渡欧。帰朝後、東洋大、明大、同志社大などで教鞭をとり、東洋美術国際研究会常務理事をつとめた。工芸研究からさらに民芸研究家として活躍。雑誌「民芸」を刊行し、日本民芸館を設立。昭和三二年(一九五七)文化功労者。著に「雑器の美」「日本の民芸」など。明治二二~昭和三六年(一八八九‐一九六一

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世界大百科事典内の柳宗悦の言及

【浅川巧】より

…山梨農林学校卒。1914年朝鮮に渡り,朝鮮総督府林業試験場で養苗実験に従事するかたわら,柳宗悦(むねよし)とともに京城(ソウル)に朝鮮民族美術館を設立した。また,朝鮮民芸を研究し《朝鮮の膳》《朝鮮陶磁名考》を書いた。…

【民芸】より

…法然は〈一文不知〉の者をかえってたたえたが,大いに理があろう。【柳 宗悦】
[民芸運動]
 日本の民芸運動は,柳宗悦(やなぎむねよし)によって〈民芸〉という言葉とともにはじめられ,彼を中心とする同志的結合による活動によって発展した。白樺派の創始者の一人であった柳宗悦は,生活と深い結びつきのある工芸の世界へと情熱を向け,民衆の日常生活のなかに厳然と生きている美の世界,すなわち民衆の工芸のうちに工芸そのものの真の姿のあることを強く提唱した。…

【民芸紙】より

…他の一つは障子紙,傘紙などとして日常生活に供給されたが,生産能率を上げ,価格を安くし,さらに都会趣味に応じるため,鉄板乾燥などの改良策を行い,原料に木材パルプなどを混入し,薬品漂白などで紙を真っ白にするなどの工法が,製紙試験場等の指導で普及していった。このように手漉和紙本来の特色が失われる傾向に対し,知識人の間で批判はあったが,とくに昭和初期から民芸運動を活発に指導していた柳宗悦は強く反対した。柳は1931年に島根県松江市で開催した新作民芸品の展示会のおりに,当時,29歳の安部栄四郎(1902‐84)の漉いた厚手の雁皮紙を賞賛したのが機縁となって,安部の東京における紙の個展や雑誌《工芸》の和紙特集(1933)などによって,民芸紙の内容が整ってきた。…

【明治・大正時代美術】より

…帝展系工芸と民芸とは無縁だと思われがちだが,もともと両者は,明治の功利主義的精神が築いてきた近代日本文化に対する対蹠的反応だったといえる。 運動の指導者だった柳宗悦は,1926年に富本憲吉,河井寛次郎,浜田庄司らの陶芸家と連名で,〈日本民芸美術館設立趣意書〉を発表して運動を思想的に方向づけ,27年に染織の青田五良(1898‐1935),木工の黒田辰秋(たつあき)(1904‐82)らと上賀茂民芸協団を結成して,その思想を実践に移した。イギリスの工芸家W.モリスの影響を受けていた柳の思想においては,かつての日常雑器に見られた美を基準にして,今日の生活用品を生産することが本来の目的だったからである。…

【リーチ】より

…1897年イギリスに帰り,ロンドン美術学校に学ぶ。1909年来日,東京,上野桜木町に住み,武者小路実篤,柳宗悦ら《白樺》の同人に銅版画を教えたことから彼らとの交友が始まった。12年,ある茶会で楽焼に絵付したことが契機となって富本憲吉とともに六代目尾形乾山に入門,16年,師の本窯を譲り受けて千葉県我孫子(あびこ)の柳邸内に築窯,将来陶芸家となることを志し,作陶に専念。…

※「柳宗悦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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