小池村勇七(読み)こいけむらゆうしち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小池村勇七」の意味・わかりやすい解説

小池村勇七
こいけむらゆうしち
(1758―1805)

江戸後期、常陸(ひたち)国信太(しだ)郡小池村(茨城県稲敷郡阿見(あみ)町)の百姓一揆(いっき)の指導者。1804年(文化1)10月、水戸街道牛久(うしく)宿の助郷差村(すけごうさしむら)(指定)に反対して、小池村吉重郎、桂(かつら)村(牛久市)兵右衛門とともに付近55村2000人の農民動員打毀(うちこわし)を指導した。一揆後捕らえられて吟味中死亡。

[秋山高志]

『鈴木久編『常久肝膽夢物語――牛久助郷一揆の記録』(1979・崙書房)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小池村勇七」の解説

小池村勇七 こいけむら-ゆうしち

1763-1805 江戸時代後期の一揆(いっき)指導者。
宝暦13年生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)信太(しだ)郡小池村の農民。文化元年水戸街道の牛久・荒川沖両宿場の助郷(すけごう)役課増に反対して,約6000人の農民とともに問屋などを打ちこわす(牛久助郷一揆)。頭取のひとりとして捕らえられ,文化2年1月9日江戸で獄死。43歳。

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