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小池村勇七 こいけむら ゆうしち

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小池村勇七 こいけむら-ゆうしち

1763-1805 江戸時代後期の一揆(いっき)指導者。
宝暦13年生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)信太(しだ)郡小池村の農民。文化元年水戸街道の牛久・荒川沖両宿場の助郷(すけごう)役課増に反対して,約6000人の農民とともに問屋などを打ちこわす(牛久助郷一揆)。頭取のひとりとして捕らえられ,文化2年1月9日江戸で獄死。43歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小池村勇七

没年:文化2.1.9(1805.2.8)
生年:宝暦13(1763)
江戸後期の百姓一揆の指導者。常陸国(茨城県)信太郡上杉氏知行所小池村(阿見町)の百姓であったが,水戸街道牛久宿の問屋麻屋和藤治による助郷村増加願に反対して,一揆を計画,文化1(1804)年10月17日夜,同村吉十郎と張札を村々高札場に張出した。翌日女化稲荷に参集した百姓らを取りまとめた桂村兵右衛門を加え3人が頭取となった。19日には百姓らは数千人になり,20日に和藤治宅を,21日に牛久宿治左衛門宅を,22日に阿見村権左衛門宅を打毀した。同日夕刻,土浦藩兵が鎮圧のため牛久宿に到着,百姓らは解散帰村した。これを牛久助郷騒動という。頭取3人は,百姓ら百余人と共に逮捕され,江戸の牢に送られ,吟味中に牢死した。頭取らの供養碑が阿見町一区の道標として建てられ,上小池共同墓地に勇七らの墓碑がある。<参考文献>『阿見町史』,鈴木久『牛久助郷騒動記録』

(斎藤善之)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小池村勇七
こいけむらゆうしち
(1758―1805)

江戸後期、常陸(ひたち)国信太(しだ)郡小池村(茨城県稲敷郡阿見(あみ)町)の百姓一揆(いっき)の指導者。1804年(文化1)10月、水戸街道牛久(うしく)宿の助郷差村(すけごうさしむら)(指定)に反対して、小池村吉重郎、桂(かつら)村(牛久市)兵右衛門とともに付近55村2000人の農民を動員、打毀(うちこわし)を指導した。一揆後捕らえられて吟味中死亡。[秋山高志]
『鈴木久編『常久肝膽夢物語――牛久助郷一揆の記録』(1979・崙書房)』

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