朝日日本歴史人物事典 「小河一敏」の解説
小河一敏
生年:文化10.1.21(1813.2.21)
幕末の豊後岡藩(大分県)藩士,尊攘派志士。通称弥右衛門。儒・仏・国学に通じ,槍剣,詩歌も巧みだった。かねて京都の田中河内介と尊王を談じ,嘉永6(1853)年のペリー来航におよび北九州方面に遊説,真木和泉,平野国臣ら九州有志と結ぶ。文久2(1862)年「武士の八十宇治川の清き瀬のつきぬ流に名をやながさん」の歌を残し上坂,島津久光の上洛を機に挙兵を図るが,寺田屋の変で挫折。京都・摂津にあって,岩倉具視,大原重徳より時局を問われ書を呈している。維新後は内国事務局権判事,堺県知事,宮内省御用掛などを歴任。<著作>『王政復古義挙録』『鶏肋詩稿』『千引草百首』<参考文献>小河忠夫『小河一敏』
(三井美恵子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報