日本歴史地名大系 「小深新田」の解説 小深新田こぶけしんでん 千葉県:千葉市稲毛区小深新田[現在地名]稲毛区小深町、若葉(わかば)区愛生町(あいおいちよう)長沼(ながぬま)新田の東方にあり、嘉永四年(一八五一)の道標に「こてはし」「志かわたし」とある。寛政―享和期(一七八九―一八〇四)入会秣場六方(ろつぽう)野の二五三町七反余を開き、当新田と川野辺(かわのべ)新田(現若葉区)が成立、さらに文化―天保期(一八〇四―四四)に残余の秣場二五〇町歩を両村が新田開発した(安政五年「六方野一件願書」永野家文書)。「千葉郡誌」によれば、元和(一六一五―二四)頃武州から移住、大日(だいにち)山の東方七―八町の地にあり、大いに発達し代官の支配となり、幕末頃には戸数四〇に及び、総石高一三〇石で、名主は開発請負の小島藤兵衛。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by