小滝街道(読み)こたきかいどう

日本歴史地名大系 「小滝街道」の解説

小滝街道
こたきかいどう

江戸時代山形城下から置賜おきたま北条ほうじよう宮内みやうち(現南陽市)に通じていた街道。城下西の南館みなみだて村で羽州街道から分岐し、長谷堂はせどう村の南で山道となり、狸森むじなもり村・小白府おじらふ(現上山市)から小滝峠(標高六〇〇メートル)を越え、小滝村から吉野よしの川沿いにおぎ村・太郎たろう(以上現南陽市)を経て宮内に至る。一貫した名称はなく、長谷堂道・小白府街道・最上街道・宮内街道ともよばれた。山形城下から羽州街道で松原まつばら宿を経て上山かみのやまに至り、上山からは米沢城下と結ぶ米沢街道が公的主要道として整備されていたのに対し、白鷹しらたか丘陵山間の村々の地場産業上の商業の道として利用された。小滝で荒砥あらと(現西置賜郡白鷹町)へ通じる道が分岐する。江戸時代以前から利用されていたとみられ、慶長五年(一六〇〇)の長谷堂城をめぐる最上勢と上杉勢の出羽合戦では、上杉勢の軍道になった(伊達正統世次考)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報