狸森村
むじなもりむら
[現在地名]上山市狸森
小滝街道に沿い本沢川上流の山村。標高六〇〇メートルの黒森・狐岩・出口などの遺跡から縄文後期・晩期の土器が出土する。前丸森の坊屋敷に応長元年(一三一一)の板碑があり、長谷堂村滝の山(現山形市)の長谷観音の奥院があったと伝える。「伊達天正日記」の天正一六年(一五八八)四月一六日条に「金山松の太郎さへもん、むちなもりと申候所を打ちらし、首八ツいけとりあまたとり申され候」とみえ、伊達・最上両軍の戦闘があった。
狸森村
むじなもりむら
[現在地名]須賀川市狸森
大栗村の南、阿武隈高地中の山間に立地。東部に蝦夷嶽(六七一・一メートル)があり、集落は西麓の南向きの傾斜地に散在。中央を須賀川宿から小作田村経由で母畑村(現石川町)から御斎所街道に連絡する道が通る。蝦夷嶽中腹の高野で縄文時代初期の尖底土器が出土。延元四年(一三三九)九月一六日の源英房書状(有造館本結城古文書写)に「河東郷内大栗・狢森両郷」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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