朝日日本歴史人物事典 「小田穀山」の解説
小田穀山
生年:元文4(1739)
江戸中期の儒学者。本姓佐藤氏,名は煥章,字子文,通称定右衛門,穀山と号す。元来,越後頸城郡竹直村(新潟県中頸城郡吉川町)の名主であったが家人を残して江戸へ出奔。儒学,なかでも漢唐の古注家をもって任じ家塾を営んだ。豪放にして弄世諧謔を好み,経学の傍ら,越後の民謡にあたかも『詩経』を解するがごとく謹厳な漢文の訓詁注釈を施した『越風石臼歌』を刊行したりした。民間俗言の本義を追究した『邇言解』では,たとえば「嫉妬」を考察しつつ次第に夫婦喧嘩での罵倒語を,畜生,性悪,ハリツケ,モモンジイなどと22語も開陳するといった,冗談か本気か分からぬエンターテインメント性を発揮している。大田南畝らとも気脈を通じ,近世中・後期を代表する奇人。<参考文献>森銑三「越風石臼歌の著者」(『森銑三著作集』10巻)
(宮崎修多)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報