片山兼山(読み)カタヤマケンザン

デジタル大辞泉 「片山兼山」の意味・読み・例文・類語

かたやま‐けんざん【片山兼山】

[1730~1782]江戸中期の儒学者上野こうずけの人。名は世璠。荻生徂徠おぎゅうそらい古文辞学を学んだが、のちこれを批判し、唐宋諸家の説を加え、折衷学を提唱した。→折衷学派

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精選版 日本国語大辞典 「片山兼山」の意味・読み・例文・類語

かたやま‐けんざん【片山兼山】

  1. 江戸中期の儒者。名は世璠(せはん)。字(あざな)は叔瑟、通称東造。上野国(群馬県)の人。服部南郭徂徠学を学び、事情あって熊本に行き、秋山玉山に学ぶ。宇佐美灊水養子となるが、徂徠学に疑念を生じたため義絶し、折衷学を樹立。経義を重んじ、漢・宋諸家の説をとり山子学と称された。また、経書に新たに訓点を施し、山子点と呼ばれた。著「周易類考」「古文孝経標注」「山子遺文」「山子垂統」など。享保一五~天明二年(一七三〇‐八二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「片山兼山」の意味・わかりやすい解説

片山兼山
かたやまけんざん
(1730―1782)

江戸中期の儒学者。折衷(せっちゅう)学派。名は世璠(せばん)、字(あざな)は叔瑟(しゅくしつ)、通称は東造(とうぞう)。兼山はその号。上野(こうずけ)国(群馬県)の人。江戸に出て、徂徠(そらい)学派の鵜殿士寧(うどのしねい)(1710―1774)に学び、徂徠直門の宇佐美灊水(うさみしんすい)(1710―1776)の養子となったが、のち徂徠学に疑問を抱くようになり養家を去った。やがて中国唐宋(とうそう)諸家の説を折衷し、修辞よりも経義を重んじる一家言を打ち立て、井上金峨(いのうえきんが)と併称される折衷学の提唱者となった。「四書五経」に古注で訓点をつけた『山子点(さんしてん)』を刊行して世に知られ、その学問は「山子学」とよばれた。晩年尾張(おわり)藩の『群書治要』校刻に関与した。『山子垂統』(1775)『山子遺文』『学庸解廃疾(がくようかいはいしつ)』『古文孝経標注』『論語一貫』など多数の著作がある。

衣笠安喜 2016年5月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「片山兼山」の意味・わかりやすい解説

片山兼山 (かたやまけんざん)
生没年:1730-82(享保15-天明2)

江戸中期の儒者。折衷学派。名は世璠,字は叔瑟,通称は東造,兼山は号。上野国の農家に生まれる。17歳のとき江戸に出て徂徠学派の鵜殿士寧に学び,さらにその師服部南郭の門に入る。同門の秋山玉山の帰国に同行して熊本に赴き,藩校時習館の儒員を6年間務めた。やがて京都,大坂を経て江戸に帰り,士寧の塾に寄寓,ついで徂徠の高弟宇佐美灊水(しんすい)に見込まれてその養子となったが,のち徂徠学に疑問を抱くようになり,宇佐美家を去った。その後旗本遠山修理の屋敷に身を寄せて門弟を教授,徂徠学を批判して漢宋諸家の説を折衷する一家の見を立て,折衷学の提唱者として井上金峨と並称された。晩年,尾張藩の《群書治要》の校刻に参与し,中途で病没した。四書五経に山子点と呼ばれる訓点を付けて刊行したほか,著書に《山子垂統》《山子遺文》《論語一貫》《学庸解廃疾》などがある。門人も多く,一門を山子学と称えた。
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百科事典マイペディア 「片山兼山」の意味・わかりやすい解説

片山兼山【かたやまけんざん】

江戸中期の儒(折衷)学者。上野(こうずけ)の人。名は世【ばん】(せばん)。徂徠(そらい)学派の鵜殿士寧(うどのしねい)に学ぶ。のち古文辞を疑い,先秦の古義を集大成して《古文互証》を作った。折衷学の提唱者として井上金峨(きんが)と並称される。門人も多く,一門は山子学(さんしがく)とよばれ,以下,文選(もんぜん)に及ぶ諸本に施した訓点を山子点(さんしてん)という。著書《論語徴廃疾(ろんごちょうはいしつ)》《山子垂統》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「片山兼山」の解説

片山兼山 かたやま-けんざん

1730-1782 江戸時代中期の儒者。
享保(きょうほう)15年生まれ。鵜殿士寧(うどの-しねい)らにまなぶ。荻生徂徠(おぎゅう-そらい)の門人宇佐美灊水(しんすい)の養子となるが,徂徠学に疑問をいだき,宇佐美家をさって独自の折衷学をとなえた。天明2年3月29日死去。53歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。名は世璠(せばん)。字(あざな)は叔瑟(しゅくしつ)。通称は東造。著作に「山子垂統」「古文孝経標註」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「片山兼山」の意味・わかりやすい解説

片山兼山
かたやまけんざん

[生]享保15(1730).上野
[没]天明2(1782)
江戸時代中期の儒学者。名は世はん,通称は東造,字は叔瑟,兼山は号。延享3 (1746) 年江戸に出て,鵜殿士寧,服部南郭の門に入る。荻生徂徠の高弟宇佐見しん水の養子となるが,のち徂徠の説を疑い,漢,宋諸家の説をとり折衷学を開き,徂徠学を排撃した。著作『周易類考』『尚書類考』『毛詩類考』など。

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