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片山兼山 かたやまけんざん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

片山兼山
かたやまけんざん

[生]享保15(1730).上野
[没]天明2(1782)
江戸時代中期の儒学者。名は世はん,通称は東造,字は叔瑟,兼山は号。延享3 (1746) 年江戸に出て,鵜殿士寧服部南郭の門に入る。荻生徂徠の高弟宇佐見しん水の養子となるが,のち徂徠の説を疑い,漢,宋諸家の説をとり折衷学を開き,徂徠学を排撃した。著作『周類考』『尚書類考』『毛詩類考』など。

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百科事典マイペディアの解説

片山兼山【かたやまけんざん】

江戸中期の儒(折衷)学者。上野(こうずけ)の人。名は世【ばん】(せばん)。徂徠(そらい)学派鵜殿士寧(うどのしねい)に学ぶ。のち古文辞を疑い,先秦古義を集大成して《古文互証》を作った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

片山兼山 かたやま-けんざん

1730-1782 江戸時代中期の儒者。
享保(きょうほう)15年生まれ。鵜殿士寧(うどの-しねい)らにまなぶ。荻生徂徠(おぎゅう-そらい)の門人宇佐美灊水(しんすい)の養子となるが,徂徠学に疑問をいだき,宇佐美家をさって独自の折衷学をとなえた。天明2年3月29日死去。53歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。名は世璠(せばん)。字(あざな)は叔瑟(しゅくしつ)。通称は東造。著作に「山子垂統」「古文孝経標註」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

かたやまけんざん【片山兼山】

1730‐82(享保15‐天明2)
江戸中期の儒者折衷学派。名は世璠,字は叔瑟,通称は東造,兼山は号。上野国の農家に生まれる。17歳のとき江戸に出て徂徠学派の鵜殿士寧に学び,さらにその師服部南郭の門に入る。同門の秋山玉山の帰国に同行して熊本に赴き,藩校時習館の儒員を6年間務めた。やがて京都,大坂を経て江戸に帰り,士寧の塾に寄寓,ついで徂徠の高弟宇佐美灊水(しんすい)に見込まれてその養子となったが,のち徂徠学に疑問を抱くようになり,宇佐美家を去った。

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大辞林 第三版の解説

かたやまけんざん【片山兼山】

1730~1782) 江戸中期の儒者。上野の人。はじめ徂徠学を学んだが、のちこれを批判。古註を参照しつつ道徳実践に励む折衷学(山子学)を唱えた。著「山子垂統」ほか。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

片山兼山
かたやまけんざん
(1730―1782)

江戸中期の儒学者。折衷(せっちゅう)学派。名は世(せばん)、字(あざな)は叔瑟(しゅくしつ)、通称は東造(とうぞう)。兼山はその号。上野(こうずけ)国(群馬県)の人。江戸に出て、徂徠(そらい)学派の鵜殿士寧(うどのしねい)(1710―1774)に学び、徂徠直門の宇佐美(うさみしんすい)(1710―1776)の養子となったが、のち徂徠学に疑問を抱くようになり養家を去った。やがて中国唐宋(とうそう)諸家の説を折衷し、修辞よりも経義を重んじる一家言を打ち立て、井上金峨(いのうえきんが)と併称される折衷学の提唱者となった。「四書五経」に古注で訓点をつけた『山子点(さんしてん)』を刊行して世に知られ、その学問は「山子学」とよばれた。晩年、尾張(おわり)藩の『群書治要』校刻に関与した。『山子垂統』(1775)『山子遺文』『学庸解廃疾(がくようかいはいしつ)』『古文孝経標注』『論語一貫』など多数の著作がある。[衣笠安喜]

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