小美村(読み)おいむら

日本歴史地名大系 「小美村」の解説

小美村
おいむら

[現在地名]岡崎市小美町

村域南部は男(おと)川の広い河岸段丘で集落と耕地が集中する。右岸には作手(つくで)道が通り、街道の北部は山地となる。東は友久(ともひさ)村・生平(おいだいら)村、西は東丸山(ひがしまるやま)村、北は才熊(さいくま)村・高隆寺(こうりゆうじ)村と各々山で接する。南は男川で対岸の保母(ほぼ)村・岡(おか)村と境する。

中世、男川(おとがわ)庄に属すという。「武徳編年集成」には、一六世紀初めに深溝(ふこうず)(現額田郡幸田町)松平氏の大炊介忠定が「額田郡岩津ニ居住シ同郡小美村ノ米津四郎右衛門ヲ攻テ其地ヲ得テ移リ」とある。深溝松平氏は旧中島(なかじま)城主板倉八右衛門を当村に居住させ、板倉勝重は当村で生れている(寛政重修諸家譜)。


小美村
おみむら

[現在地名]新発田市小見(おみ)

牛(うし)ヶ首(くび)村の北、下内竹(しもないだけ)村の西に位置する。新発田藩領で、慶長一七年(一六一二)の御蔵納同払方帳(新発田市史資料)に五十公野組蔵入として「をミ村」二四石五斗余がみえる。正保国絵図で八六石余。貞享三年(一六八六)の検地帳(新発田市史資料)は田畑一六町余とし、高八六石二斗余の物成五六石九斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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