日本大百科全書(ニッポニカ) 「甘縄藩」の意味・わかりやすい解説
甘縄藩
あまなわはん
江戸時代、相模(さがみ)国鎌倉郡甘縄(神奈川県鎌倉市城廻(しろめぐり))に置かれた譜代(ふだい)藩。玉縄藩が正称。戦国時代は小田原北条氏の一族北条氏勝(うじかつ)が居城。1590年(天正18)徳川家康の関東入国に際し本多正信(ほんだまさのぶ)が1万石で配されたというのが定説になっているが、正しくは水野忠守(ただもり)らによる番城制。1596年(慶長1)松平(大河内(おおこうち))正綱(まさつな)が国内淘綾(ゆるぎ)郡万田(まんだ)村(平塚市)に380石を与えられ、ついで1625年(寛永2)相模国、武蔵(むさし)国、三河国、大和(やまと)国で計2万2000石余を拝領、甘縄を居城とした。1648年(慶安1)2代正信のとき新墾田3000石を弟季綱(すえつな)に分知し所領は2万石となる。1698年(元禄11)3代正久のとき武蔵国所領は三河国に移され、1703年上総(かずさ)国大多喜(おおたき)に転封、廃藩となった。
[神﨑彰利]
『『神奈川県史 通史編2 近世1』(1981・神奈川県)』