小西得郎(読み)コニシトクロウ

デジタル大辞泉 「小西得郎」の意味・読み・例文・類語

こにし‐とくろう〔‐トクラウ〕【小西得郎】

[1896~1977]プロ野球監督解説者東京の生まれ。昭和11年(1936)大東京の監督に就任。以後複数の球団の監督を務める。同30年から野球解説者として活躍した。

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20世紀日本人名事典 「小西得郎」の解説

小西 得郎
コニシ トクロウ

昭和期のプロ野球監督,野球解説者



生年
明治29(1896)年7月10日

没年
昭和52(1977)年6月9日

出生地
東京市麴町区(現・東京都千代田区)

学歴〔年〕
明治大学商学科〔大正8年〕卒

主な受賞名〔年〕
NHK放送文化賞(第24回 昭47年度)〔昭和48年〕

経歴
明大時代は野球部の主将。大正8年大学卒業後も野球に係わり、都市対抗野球の実現に尽力、昭和2年の第1回大会では第1戦の球審を務めた。11年プロ野球が誕生し、12年大東京(後のライオン)、のち名古屋の監督。2リーグ制になって25年松竹ロビンスを率いてセリーグ優勝。日本シリーズで毎日に敗れ辞任。27年大洋監督、28年洋松監督。30年NHKラジオの野球解説者になり「なんと申しましょうか」の小西節でファンを楽しませた。46年野球殿堂入り。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小西得郎」の解説

小西得郎 こにし-とくろう

1896-1977 昭和時代のプロ野球監督,解説者。
明治29年7月10日生まれ。小西増太郎(ますたろう)の長男。明大時代は駿足(しゅんそく)の外野手。昭和11年のプロ野球創立時から大東京などの監督をつとめる。25年松竹ロビンス監督としてセリーグ優勝。解説者として「なんともうしましょうか」の小西節で知られた。昭和52年6月9日死去。80歳。東京出身。

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367日誕生日大事典 「小西得郎」の解説

小西 得郎 (こにし とくろう)

生年月日:1896年7月10日
明治時代-昭和時代のプロ野球監督;野球解説者
1977年没

小西 得郎 (こにし とくろう)

生年月日:1894年7月10日
昭和時代のプロ野球監督;解説者
1977年没

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