小西増太郎(読み)コニシ マスタロウ

20世紀日本人名事典 「小西増太郎」の解説

小西 増太郎
コニシ マスタロウ

明治〜昭和期の神学者,翻訳家,ロシア思想研究者



生年
文久2年4月4日(1862年)

没年
昭和15(1940)年12月10日

出生地
広島

学歴〔年〕
キエフ神学校卒,モスクワ大学哲学専攻

経歴
小西行長の子孫。上京してニコライ堂の鐘つきをしながらロシア語を学び、明治19年西特命全権公使随員としてロシアに渡り、モスクワ大でグロート教授師事、教授の紹介でトルストイを知り、トルストイと老子道徳経共訳、のち出版。28年帰国、陸軍大学、同士官学校でロシア語を講じる傍ら、「国民の友」「哲学会雑誌」などに執筆、トルストイの作品を紹介、「クロイツェル・ソナタ」を尾崎紅葉と共訳した。29年徳富蘇峰の外遊にトルストイへの紹介状を書き、トルストイは蘇峰帰国の際「杜翁手沢聖書」を託した。ロシア再訪中の43年トルストイの葬儀に立ち合った。帰国後京都帝大、同志社大各教授。学生に近衛文麿らがいた。のち近衛内閣の要請で訪ソ、旧知のスターリンらと歓談した。著書にトルストイとの回想記「トルストイを語る」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小西増太郎」の解説

小西増太郎 こにし-ますたろう

1862-1940 明治-昭和時代前期のロシア研究家,神学者。
文久2年4月4日生まれ。小西得郎の父。明治19年キエフ神学大に留学。のちモスクワでトルストイと共同で「老子」のロシア語訳をおこなう。26年帰国し,母校正教神学校の教授。のち京都帝大などでロシア語をおしえた。昭和15年12月10日死去。79歳。備前(岡山県)出身著作に「トルストイを語る」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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