小野善助(読み)おの・ぜんすけ

朝日日本歴史人物事典 「小野善助」の解説

小野善助(初代)

没年:元文4.8.8(1739.9.10)
生年:万治1(1658)
江戸時代前期の豪商。近江国高島郡大溝(滋賀県高島町)出身。名は包教。屋号は井筒屋善助。小野家は万治年間(1658~61)ごろ,盛岡に出て,奥羽物産と上方物産の交易で財をなしたが,その一族のひとりである包教は享保8(1723)年京都に町家を求めて移住し,和糸・生絹・紅花・古手問屋ならびに両替業を開業,京都小野本家を開いた。のち江戸にも開店,本為替仲間に加入して幕府の金銀御用達ともなった。 初代以降,善助が小野家の京都本家の通り名となり明治期の8代まで続いた。3代目政房(1697~1750)のあと,長男包該が善助を相続,次男・3男はそれぞれ助次郎家,又次郎家を新たにたて,以後京都小野本家はこの三家連携で経営された。8代目包賢(1831~87)のころは明治維新期で,糸・絹・古手・油などについての商業活動を行うとともに,新政府の御為替方として,巨額の御用金を拠出し,為替方として公金を取り扱い,全国的規模で金融活動を繰り広げ,小野組と呼ばれた。明治5(1872)年三井組と共に三井小野組合銀行を創設,翌年第一国立銀行となった。生糸貿易に乗り出したほか,東京築地・前橋福島諏訪などの製糸場,釜石・院内・阿仁などの鉱山,製紙経営などに事業拡大,三井と覇を競ったが,経営内部の問題や,政争に巻き込まれたことなどにより,明治7年突如,官金回収の命を受けたことを契機破綻した。<参考文献>宮本又次『小野組の研究』全4巻

(宮本又郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野善助」の解説

小野善助 おの-ぜんすけ

1831-1887 幕末-明治時代の実業家。
天保(てんぽう)2年生まれ。京都の豪商の8代目をつぎ,生糸販売,両替業などをいとなむ。維新時小野組を組織して新政府の為替方となり,巨額の資金を調達。明治6年三井高福(たかよし)らと最古の銀行である第一国立銀行(第一銀行の前身)を設立。三井家ときそったが,経営に失敗し,7年に破綻(はたん)した。明治20年1月23日死去。57歳。京都出身。名は包賢。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の小野善助の言及

【小野組】より

…1662‐63年(寛文2‐3)ころ次男の主之が盛岡に下り,近江屋を称し,村井権兵衛を名乗った。甥の子供である盛岡紺屋町の井筒屋の小野善助(1708上洛),京都の鍵屋の小野権右衛門,南部で〈紺印〉の祖となった小野清助などがこれに協力した。小野一族は繰綿,木綿,古手などの雑品を南部にもたらし,砂金,紅花,紫根,生糸などを上方,江戸に送って利益を得て,南部に定住し,質屋,酒・みそ・しょうゆの製造販売をした。…

※「小野善助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android