朝日日本歴史人物事典 「小野善助」の解説
小野善助(初代)
生年:万治1(1658)
江戸時代前期の豪商。近江国高島郡大溝(滋賀県高島町)出身。名は包教。屋号は井筒屋善助。小野家は万治年間(1658~61)ごろ,盛岡に出て,奥羽物産と上方物産の交易で財をなしたが,その一族のひとりである包教は享保8(1723)年京都に町家を求めて移住し,和糸・生絹・紅花・古手問屋ならびに両替業を開業,京都小野本家を開いた。のち江戸にも開店,本為替仲間に加入して幕府の金銀御用達ともなった。 初代以降,善助が小野家の京都本家の通り名となり明治期の8代まで続いた。3代目政房(1697~1750)のあと,長男包該が善助を相続,次男・3男はそれぞれ助次郎家,又次郎家を新たにたて,以後京都小野本家はこの三家連携で経営された。8代目包賢(1831~87)のころは明治維新期で,糸・絹・古手・油などについての商業活動を行うとともに,新政府の御為替方として,巨額の御用金を拠出し,為替方として公金を取り扱い,全国的規模で金融活動を繰り広げ,小野組と呼ばれた。明治5(1872)年三井組と共に三井小野組合銀行を創設,翌年第一国立銀行となった。生糸貿易に乗り出したほか,東京築地・前橋・福島・諏訪などの製糸場,釜石・院内・阿仁などの鉱山,製紙経営などに事業を拡大,三井と覇を競ったが,経営内部の問題や,政争に巻き込まれたことなどにより,明治7年突如,官金回収の命を受けたことを契機に破綻した。<参考文献>宮本又次『小野組の研究』全4巻
(宮本又郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報