改訂新版 世界大百科事典 「小野寺氏」の意味・わかりやすい解説
小野寺氏 (おのでらうじ)
中世の武士団。平安末期,下野国小野寺保を名字の地とした,藤原秀郷流山内首藤義通の子,小野寺禅師義寛を始祖とする。その子通綱のとき,源頼朝の麾下(きか)に参じて関東御家人に列し,所領を拡大。通綱-通業-泰通-通景-周通が惣領であり,通綱の子秀通系,通業の子通秀・通氏系など一族を分出した。陸奥国新田・登米(とよね)両郡を名字の地とした通房系小野寺氏も,鎌倉初期分出の一族とみられる。南北朝期以後,小野寺保に拠り下野の国人に成長したのは通氏系であるが,室町将軍家から京都扶持衆に指名,京都屋地を与えられ,有力領主となったのは,出羽国雄勝(おかち)郡を本拠とした一族である。戦国期には,雄勝・平鹿(ひらが)両郡を中心に勢力を広げ,太閤仕置の結果,横手城主小野寺義道は領内2/3の3万1600石を安堵された。しかし,関ヶ原の戦のさい上杉方に味方し,1601年(慶長6)所領は没収,義道は石見国津和野坂崎家に預けられ,一族は四散した。
執筆者:遠藤 巌
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報