日本歴史地名大系 「小野田本郷」の解説 小野田本郷おのだほんごう 宮城県:加美郡小野田町小野田本郷[現在地名]小野田町 城内(じようない)・上区(かみく)・中区(なかく)・下区(しもく)・中嶋(なかじま)東流する鳴瀬(なるせ)川左岸にあり、南は月崎(つきざき)村、東は下野目(しものめ)、北は小泉(こいずみ)村(現宮崎町)、西は原町(はらまち)に接する。近世を通じて郷帳類では、ほぼ現町域の全部が小野田本郷一村として扱われ、元禄郷帳の高三千八四四石余、天保郷帳では高八千五四五石余の巨大な村となっている。しかし実際には、小野田本郷と下野目・鹿原(かのはら)・原町・味(あじ)ヶ袋(ふくろ)・長清水(ちようしみず)・原(はら)・上野目(かみのめ)・小瀬(こぜ)・芋沢(いもざわ)・水芋(みずいも)・門沢(かどさわ)・漆沢(うるしざわ)の一二の端郷に分れており、肝入も置かれ、「安永風土記」もそれぞれの端郷から書出されている。寛文期(一六六一―七三)以降端郷が独立していったものと思われる。「伊達天正日記」によれば、天正一六年(一五八七)二月、伊達・最上・大崎三氏の三つ巴の攻防に際し、「小野田ノ城主玄蕃」とみえる。葛西大崎一揆鎮定のため、同一九年七月二四日伊達政宗は「大崎の内宮崎へ働き給ふ。是に依て、小野田の城主石川長門降参(中略)宮崎への案内者となる」と記される(政宗記)。鳴瀬川南岸丘陵上に夕日(ゆうひ)館跡があり、東方七〇〇メートルには朝日(あさひ)(旭)館跡があり、両館の中間に飯豊(いいとよ)神社がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報