小野石根(読み)おののいわね

朝日日本歴史人物事典 「小野石根」の解説

小野石根

没年宝亀9.11(778)
生年:生年不詳
奈良時代の官人。小野老の子。天平宝字1(757)年に従五位下に叙せられた。以後,同8年長門守となり,翌年造宮大輔,神護景雲3(769)年近江介,宝亀6(775)年中衛大将を歴任した。宝亀7年遣唐副使に任命されたが,まず風波が整わないとして神を祭る役目をおおせつかった。このあたりから彼の運命は不吉な予感がする。同時に大使の佐伯今毛人が病を理由に大使の職を辞したため,大使代理として船出することになった。翌年無事唐の長安(西安)に到達し任務を果たしたが,帰路風難にあって船が沈没して死去した。悲運の官人。

(鬼頭清明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野石根」の解説

小野石根 おのの-いわね

?-778 奈良時代の遣唐使
小野老(おゆ)の子。宝亀(ほうき)7年左中弁兼中衛中将,鋳銭長官のとき遣唐副使となる。大使の佐伯今毛人(さえきの-いまえみし)が病のため,大使代行として翌年唐(中国)にむかい,9年長安で代宗謁見。唐使の趙宝英(ちょう-ほうえい)をともなって帰国する途中の同年11月暴風にあい遭難死した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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