朝日日本歴史人物事典 「小野石根」の解説
小野石根
生年:生年不詳
奈良時代の官人。小野老の子。天平宝字1(757)年に従五位下に叙せられた。以後,同8年長門守となり,翌年造宮大輔,神護景雲3(769)年近江介,宝亀6(775)年中衛大将を歴任した。宝亀7年遣唐副使に任命されたが,まず風波が整わないとして神を祭る役目をおおせつかった。このあたりから彼の運命は不吉な予感がする。同時に大使の佐伯今毛人が病を理由に大使の職を辞したため,大使代理として船出することになった。翌年無事唐の長安(西安)に到達し任務を果たしたが,帰路風難にあって船が沈没して死去した。悲運の官人。
(鬼頭清明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報