田中多太麻呂(読み)たなかのただまろ

朝日日本歴史人物事典 「田中多太麻呂」の解説

田中多太麻呂

没年宝亀9.1(778)
生年:生年不詳
奈良時代の官人。名は多太万呂とも書く。天平宝字1(757)年,従五位下に昇り,中衛府の員外少将となる。4年従五位上に昇り,5年11月東海道節度副使。以後,陸奥守,鎮守副将軍など対蝦夷最前線の要職を歴任し,神護景雲1(767)年伊治城(宮城県築館町富野)を築造した功により正四位下に昇る。のち京に戻り4年には民部大輔となり,称徳天皇の大葬で御装束司を務めた。のち美濃守,8年再び京に戻って右大弁となり,出雲守を兼任激動の淳仁,称 徳,光仁3朝を通じて長く東北辺境に任を得ていたために生き延びることができたひとり。

(橋本義則)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中多太麻呂」の解説

田中多太麻呂 たなかの-ただまろ

?-778 奈良時代の官吏
陸奥守(むつのかみ)兼鎮守副将軍として東北地方の経営にあたる。神護景雲(じんごけいうん)元年(767)胆沢(いさわ)地方(岩手県南部)の蝦夷(えみし)にそなえて伊治(いじ)城をきずいた功で正四位下にのぼる。のち美濃守(みののかみ),右大弁兼出雲守(いずものかみ)。宝亀(ほうき)9年1月11日死去。名は多太万呂ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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