三次(読み)ミヨシ

デジタル大辞泉 「三次」の意味・読み・例文・類語

みよし【三次】

広島県北部、三次盆地の中心をなす市。西城さいじょう川・可愛えの川・馬洗川などが集まり、山陰山陽を結ぶ交通の要地として発達。工業・商業が盛ん。西城川鵜飼うかが行われる。人口5.7万(2010)。

さん‐じ【三次】

第3回。3度目。また、3度。「三次にわたる調査」「第三次国際会議
代数式で、次数が3であること。3乗。「三次曲線」

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精選版 日本国語大辞典 「三次」の意味・読み・例文・類語

みよし【三次】

  1. [ 1 ] 広島県中北部の地名。近世初期城下町としておこり、出雲国安芸国とを結ぶ交通の要地としても知られた。江の川が支流を集める地点に位置し、鵜飼(うかい)が行なわれる。昭和二九年(一九五四)市制。
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙 備後国(広島県)三次産の半切紙。紅で模様を摺り出し、便箋とする。
    1. [初出の実例]「書は参候に、みよしの半切を費し」(出典:洒落本・愚人贅漢居続借金(1783)序)

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改訂新版 世界大百科事典 「三次」の意味・わかりやすい解説

三次[市] (みよし)

広島県北部の市。2004年4月旧三次市と吉舎(きさ),甲奴(こうぬ),三良坂(みらさか),三和(みわ)の4町,君田(きみた),作木(さくぎ),布野(ふの)の3村が合体して成立した。人口5万6605(2010)。

三次市南東部の旧町。旧双三(ふたみ)郡所属。人口5093(2000)。三次盆地の南東部を占め,江の川の支流馬洗(ばせん)川と上下川が中央部と東部を北流する。これらの川沿いに谷底平野が形成され,わずかな耕地が開けている。中心地の吉舎は,古くから瀬戸内海沿岸の尾道,三原,福山と備後北部を結ぶ街道の宿駅で,中世の豪族和智氏が南天山城を築造後,古市,四日市,七日市などの定期市が立って発展した。酪農,養蜂や,タバコ,ヤマノイモの栽培が行われる。敷地に江戸時代の民家奥家住宅(重要文化財)がある。JR福塩線,国道184号線が通じる。

三次市北部の旧村。旧双三郡所属。人口2000(2000)。中国山地南側に位置し,周囲は標高500~1000mの急峻な山地で,町の中央を江の川支流の神野瀬川が深い谷を刻んで南流する。耕地は神野瀬川に沿ってわずかに分布し,米作,肉用牛中心の畜産,林業が行われている。南部は谷底平野がやや広く,中心地の東入君は神野瀬川の段丘上にある。神ノ瀬発電所から高暮ダムまでの神野瀬峡は,新緑,紅葉の渓谷美で知られる。

三次市南東端の旧町。旧甲奴郡所属。人口3261(2000)。吉備高原に位置し,町の中央を西流する江の川支流の上下川に沿って耕地や集落が点在する。中心集落の本郷は上下川と小童(ひち)川の合流点にあり,近世は山陰と山陽を結ぶ石州街道の宿場町であった。米作,畜産,野菜やタバコの栽培が盛んで,畜産は牧草地の造成やサイロ建設など企業的経営をとり入れている。須佐神社は〈小童の祇園さん〉の名で親しまれ,毎年7月の祇園祭は近郷の参拝者でにぎわう。JR福塩線が通じる。

三次市北西端の旧村。旧双三郡所属。人口2014(2000)。中国山地に位置し,穿入蛇行(せんにゆうだこう)して北流する江の川東岸を占める。山間地では酪農,シイタケ,クリ,ナシなどの栽培が行われ,江の川ではアユ漁など淡水漁業が盛ん。常清滝などの景勝地や県天然記念物の摺滝化石群があり,旧三次市と江津市を結ぶJR三江線,国道375号線が通じる。

三次市北西部の旧村。旧双三郡所属。人口2003(2000)。中国山地南側斜面にあり,中央部を江の川支流の布野川が南流する。中心集落の上布野は近世,山陰と山陽を結ぶ雲石路の広島藩最北端の宿駅として栄え,備後と出雲の国境にあたる赤名峠には広島藩の国境番所が設けられていた。現在は米作,和牛飼育,シイタケ栽培が盛んで,木材の生産も行われる。古くから砂鉄の産地として知られ,落合には江戸時代後期から明治30年代まで存続した製鉄所の跡がある。国道54号線が通じる。
執筆者:

三次市中部の旧市。1954年三次町,十日市町を中心に周辺6ヵ村が合体,市制。人口3万9503(2000)。山陰と山陽を結ぶ交通上の結節点であり,中心市街地は西城川,馬洗川が可愛(えの)川に合流して江の川となる所に発達する。三次盆地一帯は古くから砂鉄を産し,寺町廃寺址(奈良時代前期)がある。中世には和知荘の和知氏,江田荘の江田氏,また比叡尾山(ひえびやま)城に拠った三吉氏が一帯を支配したが,1591年(天正19)三吉氏が本拠を比熊山城に移したのが市街形成の契機とされる。中世には〈三吉〉と記されることが多かったが,1664年(寛文4)三次に改められた。1632年(寛永9)広島藩から分知された三次藩5万石の城下町となり,藩主居館を囲んで家中町(のち沖之原町,さらに内町と改称),郷村市場の系譜をひく五日市・十日市両町が町人町を形成した。町政は町奉行支配のもと各町の町年寄以下の役人により運営された。1718年(享保3)の町人口は4249人(1154竈)であった。20年三次藩は廃絶,本藩に還付されて,三次城下町は一転して広島藩の在郷町,宿場町へと性格を変えた。いったん代官の勤番下におかれたが,1813年(文化10)再び三次町奉行が設置された。出雲・石見両国から広島や尾道に通ずる流通の拠点であるとともに,備後北部地域の年貢米や,藩営鉄山の割鉄,紙,扱苧(こきそ)などの諸物産の集積・中継地として重要な役割を果たしていた。

 近代に入っても三次は交通の要衝であり,1915年芸備鉄道(現,JR芸備線)広島~三次間が開通,県北の物資集散地であった。農業を中心に木材,木製品工業が盛んであったが,1980年の中国自動車道開通以来,機械器具,電気器具などの業種が進出した。比熊山南麓の鳳源寺には初代三次藩主浅野長治の墓,長治の五女で播州赤穂藩主浅野長矩の夫人瑶泉院(阿久利姫)の遺髪塔,大石良雄手植えと伝える枝垂桜がある。頼山陽の叔父で三次町奉行も務めた頼杏坪(らいきようへい)の役宅〈運甓居(うんぺききよ)〉も残る。市域東部,馬洗川南岸の丘陵にあり,170基以上の古墳からなる浄楽寺・七ッ塚古墳群(史)は〈みよし風土記の丘〉として整備され,一画には県立歴史民俗資料館がある。江の川では鵜飼いが行われ,夏の風物詩となっている。JR芸備線とJR三江線が三次駅で,芸備線とJR福塩線が塩町駅で分岐,また国道54号線,183号線,184号線,375号線など道路も集中しており,中国自動車道のインターチェンジもある。
執筆者:

三次市東部の旧町。旧双三郡所属。人口3972(2000)。三次盆地の東部を占め,西は旧三次市に接する。町域の北寄りを上下川が曲流しつつ西に向かい,南西部を流れる馬洗川と旧三次市境で合流する。これらの川沿いに沖積低地が開ける。近世には馬洗川沿いに尾道と石見(いわみ)地方を結ぶ石見路(現,国道184号線)が通じ,中心集落の三良坂はその宿駅であった。町場が形成されて牛馬市なども開かれ,商業の中心地でもあった。米作のほか,栗,シイタケの栽培,畜産が行われ,家具製造,縫製などの工場もある。上下川北岸には戦国期,毛利氏に属してこの地域を支配した和知氏の一族湯谷氏の拠った萩原城跡がある。田利八幡神社には和知氏の寄進した神像などが蔵される。灰塚にある旛山(はたやま)家住宅(重要文化財)は江戸中期の建築。JR福塩線が通じる。

三次南端の旧町。旧双三郡所属。人口3789(2000)。南西端に大土山(800m)がそびえる。東を美波羅(みはら)川,西を板木川が北流し,中央に高原状の台地が広がる。耕地面積の比率は高く,米作,果樹栽培,和牛飼育,養鶏などが行われ,近年は野菜栽培も盛んである。牛は,江戸時代にも広島藩からの〈御預牛〉〈御仕向牛〉として飼育されている。敷名の美波羅川谷口には戦国期,毛利氏の一族敷名氏の拠った奴原(ぬばら)城跡がある。羽出庭(はでにわ)南部の成広(なひろ)谷は,毛利元就が陣揃えをして出陣したところという。国道375号線が南北に貫き,旧三次市と結ばれる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三次」の意味・わかりやすい解説

三次(市)
みよし

広島県北部、三次盆地の大半を占める市。北は島根県と接する。1954年(昭和29)双三(ふたみ)郡三次、十日市(とおかいち)の2町と河内(こうち)、粟屋(あわや)、酒河(さけかわ)、神杉(かみすぎ)、和田、田幸(たこう)の6村が合併して市制施行。1956年川地(かわち)村、1958年川西(かわにし)村を編入した。2004年(平成16)、甲奴(こうぬ)郡の甲奴町、双三郡の吉舎町(きさちょう)、三良坂町(みらさかちょう)、三和町(みわちょう)、君田村(きみたそん)、布野村(ふのそん)、作木村(さくぎそん)と合併。JR芸備(げいび)線、福塩(ふくえん)線、国道54号、183号、184号、375号のほか、中国自動車道が通じており、三次、三次東の2インターチェンジがあり、三次東ジャンクションは同自動車道、尾道自動車道、松江自動車道のジャンクション。インターチェンジがある。三次駅を終点とするJR三江(さんこう)線が通じていたが、2018年に廃線となった。

 中心の三次はかつては五日市(いつかいち)ともいい、1580年(天正8)三吉(みよし)氏が拠点とした地。江戸時代は広島藩の支藩三次藩の城下町であったが、1720年(享保5)広島本藩に還付された。江の川(ごうのかわ)水系の馬洗(ばせん)川、西城(さいじょう)川、可愛(えの)川が巴(ともえ)状に合流し、旧三次町と十日市町は巴橋を挟んでいわゆる双子町をなし、河港として栄えてきた。現在は県の出先機関などがあり、県北部の中心をなし、電気機器、機械、バイオテクノロジーなどの工業が進出している。農業は稲作、野菜・果樹栽培、畜産などが行われるが、就業人口は減少し、兼業化が進んでいる。国指定史跡に浄楽寺・七ツ塚古墳群(史跡公園県立みよし風土記の丘)、花園(はなぞの)遺跡、矢谷(やたに)古墳、寺町廃寺跡、陣山(じんやま)墳墓群がある。国の重要文化財に指定されている旧真野家住宅(世羅町から移築)、奥家住宅、旧旙山(はたやま)家住宅はいずれも江戸時代中期の農家建築。郷土玩具(がんぐ)で知られる三次土人形は江戸初期に始まる。江の川の鵜飼(うかい)も有名。面積778.18平方キロメートル、人口5万0681(2020)。

[北川建次]

『『三次市史』全4巻(2003~2004・三次市)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三次」の意味・わかりやすい解説

三次
みよし

広島県北部,三次市の中央を占める三次盆地にある地域。旧市名。神野瀬 (かんのせ) 川,馬洗 (ばせん) 川,西城川が江川 (→可愛川 ) に合流する地点に位置。 1954年三次,十日市の2町と酒河,河内,和田,神杉,田幸,粟屋の6村が合体して市制。 1956年川地村,1958年川西村をそれぞれ編入。 2004年4月甲奴,吉舎,三良坂,三和の4町と君田,布野,作木の3村と合併した。古くから山陽地方と山陰地方を結ぶ交通の要衝で,中心市街地のうち三次は江戸時代は広島藩支藩の城下町,十日市出雲街道の宿場町および市場町として発展。農村部では米,野菜,ブドウなどの果樹を産し,和牛の飼育が行なわれる。古い伝統をもつ牛馬市は毎年6,11月に開かれる。工業は自動車部品,医薬品,木材加工,窯業,食品加工などがある。南側の丘陵を中心に古墳が多く,「みよし風土記の丘」と呼ばれ,県立歴史民俗資料館,国指定史跡の浄楽寺・七ッ塚古墳群などがある。尾関山公園は桜の名所であり,400年の伝統をもつ鵜飼は夏の三次の風物詩。秋には霧の発生により「霧の海」がみられる。花園遺跡,矢谷古墳,寺町廃寺跡などの国指定の史跡や船佐・山内逆断層帯の天然記念物がある。 JR芸備線,三江線,福塩線の鉄道と,国道 54号線と 375号線,183号線,184号線,さらに中国縦貫自動車道が通る交通の要地。

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百科事典マイペディア 「三次」の意味・わかりやすい解説

三次[市]【みよし】

広島県北部の市。1954年市制。市街は江の川(ごうのかわ)の支流が集まる三次盆地の中央にあり,1580年以後三吉氏の城下町として発展。出雲,広島,尾道の各地方を結ぶ要地で,河川交通も盛んであった。芸備線,福塩線,三江線,中国自動車道,松江自動車道,尾道自動車道が通じる。広域交通網の整備に伴い,近年は輸送用機器,電気・電子工業が発達する。米作,果樹・花卉(かき)栽培,畜産が行われる。3000基を超える古墳が点在し,桜で有名な尾関山公園,400年の伝統をもつ鵜飼など観光資源にも恵まれる。2004年4月双三郡吉舎町,三良坂町,三和町,君田村,布野村,作木村,甲奴郡甲奴町と合併。778.14km2。5万6605人(2010)。
→関連項目福塩線三次盆地

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世界大百科事典(旧版)内の三次の言及

【江の川】より

…この川の名称は,旧河川法の時代には広島県側が郷川(ごうがわ),島根県側が江川(ごうがわ)と告示されていたが,1966年4月に1級河川に指定された際,江の川と統一された。本流は広島県山県郡大朝町阿佐山に発する可愛川(えのかわ)であり,標高400~700mの中国(高田)高原の上を南東へ,ついで北東に流れて三次(みよし)市に至り,ほぼ同じ規模の支流,馬洗(ばせん)川,西城川,神野瀬(かんのせ)川を合わせる。その後,流路を西方へ反転させ,中国山地の隆起に抗して江の川関門と呼ばれる深い峡谷をうがち,典型的な先行性流路を形成する。…

※「三次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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