小野藩陣屋跡(読み)おのはんじんやあと

日本歴史地名大系 「小野藩陣屋跡」の解説

小野藩陣屋跡
おのはんじんやあと

[現在地名]小野市西本町

小野藩主一柳氏の承応二年(一六五三)以降の陣屋跡。一柳氏の本姓は越智氏。のち伊予国に居住して古代からの名族河野を姓として、大永年間(一五二一―二八)庶流の宣高(河野三五代)のとき美濃国守護職土岐氏に仕え、一柳を称したという(一柳家譜)。宣高の孫直末は豊臣秀吉に知行二五貫で仕え、各地の合戦で戦功をあげたが、天正一八年(一五九〇)伊豆山中やまなか(現静岡県三島市)攻めで戦死。このとき直末は美濃軽海かるみ(現岐阜県真正町)で六万石の大名になっていた(「美濃明細記」など)。直末の死後、弟直盛はその遺領を継ぎ尾張黒田くろだ(現愛知県木曾川町)に三万石を与えられた。直盛は関ヶ原の戦で東軍に属して伊勢国神戸かんべ(現三重県鈴鹿市)五万石に加増転封のあと、寛永一三年(一六三六)さらに一万八千六〇〇石が加増され、家祖の地である伊予国西条さいじよう(現愛媛県西条市)に移封された。直盛没後、遺領は三子に分割され、次男直家が播磨国加東かとう、伊予国宇摩うま周敷すふの三郡内で二万八千六〇〇石を与えられ、伊予国川之江かわのえ(現愛媛県川之江市)に居住、加東郡の所領は同郡敷地しきじ村に代官所を置き支配した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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