末期養子(読み)マツゴヨウシ

デジタル大辞泉 「末期養子」の意味・読み・例文・類語

まつご‐ようし〔‐ヤウシ〕【末期養子】

江戸時代、後嗣のない武家が一家の断絶を避けるため危篤状態になってから急に願い出る養子急養子

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精選版 日本国語大辞典 「末期養子」の意味・読み・例文・類語

まつご‐ようし‥ヤウシ【末期養子】

  1. 〘 名詞 〙 江戸時代、一家の断絶を避けるため、急にのぞみ願いでる養子。幕府ははじめこれをいっさい許さなかったが、慶安四年(一六五一)、父五〇歳以下の場合は採り上げることになり、さらに天和三年(一六八三)の「武家諸法度」には、五〇歳以上でも審理の上許すことに改めた。急養子。〔禁令考‐前集・第四・巻三七・慶安四年(1651)一二月一一日〕

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改訂新版 世界大百科事典 「末期養子」の意味・わかりやすい解説

末期養子 (まつごようし)

近世の武家において,当主の重病危篤に及び急に願い出る養子。急養子ともいう。幕府は初めこれを禁じていたが,無嗣断絶する家が少なくなく,とくに大名家の場合,多数の牢人が出て社会不安が増したため,1651年(慶安4)慶安事件を機に50歳未満に限って末期養子を認めた。50歳以上で子のない者は,健全なうちに相続人を決めておくことが当然と考えられていたといえる。また17歳未満の者は原則として養子を願い出ることはできなかった。1719年(享保4)に至って,50歳以上でも子が死去してまもない者には末期養子を認めるようになった。なお末期養子認定のためには,万石以上の場合大目付が,万石以下の場合支配頭もしくは目付が,出願人の病床に赴き,本人の生存を確認し,養子願が本人の意志であるかどうかを聞きただす判元見届という手続を必要とした。この席には親類や同役も立ち会うこととされていた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「末期養子」の意味・わかりやすい解説

末期養子
まつごようし

江戸幕府法上、武士が急病危篤の際に急速に願い出る養子である。初めこのような急迫の時期に養子を願い出ることを幕府は許さなかったが、このために大名の家がつぶれて浪人が多く生じ、1651年(慶安4)の由比正雪(ゆいしょうせつ)の事件もこれが原因であると考えられたので、幕府は同年この禁令を緩め、50歳以下の者に限り末期養子をすることを認めた。のちには17歳以上の者たるを要すことになった。末期養子の願い書は、養父生前に提出しなければならなかったが、ときにその死後に提出されるなどの弊害があったので、願い書が提出された場合、幕府は吏員を派遣して、病席に臨み、養父の生存を見届け、願い書の真偽をたださしめることが行われた。これを判元見届という。

[石井良助]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「末期養子」の解説

末期養子
まつごようし

急養子とも。江戸時代,武家が没時に願い出る養子。武家社会において養子は家督の相続にかかわるため,少なくとも戦国期頃には,これを生前に養父本人から主君に届けるのが原則となっていた。江戸幕府も当初末期養子を禁止していたが,無嗣断絶による大名の改易が増加し,牢人が増加するにともない,これを緩和する方針をとる。1651年(慶安4)の慶安事件直後には,17歳以上50歳未満の者にかぎり末期養子を許可した。この場合,養子願いが養父本人のものであることを確認するため,判元見届(はんもとみとどけ)の手続きがとられ,万石以上は大目付が,それ以下は頭・支配や目付などが臨終の養父のもとに赴いた。のち50歳未満の制限も緩和されていく。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「末期養子」の意味・わかりやすい解説

末期養子
まつごようし

危篤に陥った武士が,所領の継承を望んで主君に願い出る養子のこと。江戸時代初期には,ほとんど認められず,そのため族制的理由,すなわち嗣子がないという理由で,取りつぶされた大名,旗本が多数に及んだ。4代将軍以後,幕府が,大名取りつぶし政策を緩和すると,末期養子もまた,慶安4 (1651) 年,制限付きながら合法化され,さらに養親,養子の年齢その他の制限も,寛文 (1661~73) ,天和 (81~84) ,正徳 (1711~16) の3次にわたる改正によって,その大半が撤廃されるにいたった。

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百科事典マイペディア 「末期養子」の意味・わかりやすい解説

末期養子【まつごようし】

急養子とも。近世の武家において嗣子のない当主が病気危篤に際して急に相続人を願い出ること。江戸初期,大名勢力削減のために禁止。しかし改易による牢人の発生は社会不安の因となり,1651年慶安事件を機に幕府は養父17歳以上50歳未満の制限つきで末期養子を認めた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「末期養子」の解説

末期養子
まつごようし

江戸時代の武家で,嗣子のない当主が重病危篤に際し,急いで願い出た相続人(養子)
急養子ともいう。幕府は当初これを許可しなかったが,そのため大名家が断絶して牢人発生の因ともなったので,1651年養父が17歳以上50歳以下の場合は末期養子を認めた。

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