コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

末期養子 まつごようし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

末期養子
まつごようし

危篤に陥った武士が,所領の継承を望んで主君に願い出る養子のこと。江戸時代初期には,ほとんど認められず,そのため族制的理由,すなわち嗣子がないという理由で,取りつぶされた大名,旗本が多数に及んだ。4代将軍以後,幕府が,大名取りつぶし政策を緩和すると,末期養子もまた,慶安4 (1651) 年,制限付きながら合法化され,さらに養親,養子の年齢その他の制限も,寛文 (1661~73) ,天和 (81~84) ,正徳 (1711~16) の3次にわたる改正によって,その大半が撤廃されるにいたった。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

まつご‐ようし〔‐ヤウシ〕【末期養子】

江戸時代、後嗣のない武家が一家の断絶を避けるため危篤状態になってから急に願い出る養子。急養子。

出典|小学館デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

末期養子【まつごようし】

急養子とも。近世の武家において嗣子のない当主が病気危篤に際して急に相続人を願い出ること。江戸初期,大名勢力削減のために禁止。しかし改易による牢人の発生は社会不安の因となり,1651年慶安事件を機に幕府は養父17歳以上50歳未満の制限つきで末期養子を認めた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

まつごようし【末期養子】

近世の武家において,当主の重病危篤に及び急に願い出る養子。急養子ともいう。幕府は初めこれを禁じていたが,無嗣断絶する家が少なくなく,とくに大名家の場合,多数の牢人が出て社会不安が増したため,1651年(慶安4)慶安事件を機に50歳未満に限って末期養子を認めた。50歳以上で子のない者は,健全なうちに相続人を決めておくことが当然と考えられていたといえる。また17歳未満の者は原則として養子を願い出ることはできなかった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

まつごようし【末期養子】

近世の武家で、家の断絶をまぬがれるため当主の危篤に際して急に願い出てする養子縁組。大名家の断絶が、浪人を大量発生させ、社会不安の原因となっていることから江戸幕府が、由井正雪の乱直後1651年より採用した相続救済制度。当主が五〇歳以下の場合に限って許された。急養子。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

末期養子
まつごようし

江戸幕府法上、武士が急病危篤の際に急速に願い出る養子である。初めこのような急迫の時期に養子を願い出ることを幕府は許さなかったが、このために大名の家がつぶれて浪人が多く生じ、1651年(慶安4)の由比正雪(ゆいしょうせつ)の事件もこれが原因であると考えられたので、幕府は同年この禁令を緩め、50歳以下の者に限り末期養子をすることを認めた。のちには17歳以上の者たるを要すことになった。末期養子の願い書は、養父の生前に提出しなければならなかったが、ときにその死後に提出されるなどの弊害があったので、願い書が提出された場合、幕府は吏員を派遣して、病席に臨み、養父の生存を見届け、願い書の真偽をたださしめることが行われた。これを判元見届という。[石井良助]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

今日のキーワード

不義理

[名・形動]1 義理を欠くこと。また、そのさま。「多忙でつい不義理になる」2 人から借りた金や物を返さないでいること。「茶屋への―と無心の請求」〈逍遥・当世書生気質〉...

続きを読む

コトバンク for iPhone