小野町(読み)おのまち

日本歴史地名大系 「小野町」の解説

小野町
おのまち

[現在地名]小野市西本町にしほんまち東本町ひがしほんまち本町ほんまち上本町かみほんまち

加古川左岸の標高約五〇メートルの河岸段丘上に位置し、南・西に加古川のはぐくんだ肥沃な沖積地を眺望することができる。小野藩二代藩主一柳直次が承応二年(一六五三)陣屋を敷地しきじ村から門前もんぜん村の小野に移したことが当城下町を形成する礎となった。陣屋構築以前は未開原野であったらしい。文明三年(一四七一)正月二六日の東賀茂霜台田年貢勘定状(清水寺文書)にみえる「小野井口方」は当地のことか。城下町は姫路出身の御用商人三宅清昌に請負わせて開発が進められた。藩士の屋敷は段丘南端部の陣屋から北へうち町・うら町・新屋敷しんやしきに建設され、町人屋敷はこのほぼ東、南北にした町・よこ町・なか町・八軒はちけん町・うえ町に建設された。町人集住区域へは陣屋の北、広小路ひろこうじから東へ大手門をくぐり中町に通ずる。

小野町
おのまち

面積:一二五・一一平方キロ

田村郡の南東部に位置し、北は船引ふねひき町・大越おおごえ町、東は滝根たきね町、東から南にかけてはいわき市、西は石川郡平田ひらた村・郡山市。阿武隈高地の稜線部に近く、北から東の境には黒石くろいし(八九六・四メートル)高柴たかしば(八八四・四メートル)矢大臣やだいじん(九六四・七メートル)、西境には一盃いつぱい(八五五・三メートル)日影ひかげ(八七九・三メートル)十石じつこく(七一八・一メートル)などがそびえる。平坦部で標高四〇〇―五〇〇メートルの山がちな地で、黒石山を水源とする右支夏井うしなつい川が町の中ほどを北西から南東に流れ、夏井で夏井川と合流する。

小野町
このまち

[現在地名]生野町小野

奥銀屋おくがなや町の対岸、いち川と金香瀬かながせ(大谷川)の合流域に位置する。銀山廻七町の一。永禄一〇年(一五六七)金香瀬鉱床の発見以来の集落と伝え、「銀山旧記」天正一〇年(一五八二)条に小野はなめらより井瀬ゆうぜまで人家があると記され、同一三年には小野と奥銀屋を結ぶ小野大橋が市川に架けられたという。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図に「生野小野町」とみえ、元禄郷帳に生野小野村と記される。

小野町
おのまち

[現在地名]和歌山市小野町一―三丁目

ほく町の南の町人町で、東から一―三丁目に区分される。「続風土記」は「古事記」神武天皇段にみえる紀国の男之水門おのみなとを紀ノ川河口付近にあて、小野町は「男の町」の転じたもので、吹上ふきあげ社境内の地名しばとともに男之水門の遺称とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小野町」の意味・わかりやすい解説

小野〔町〕
おの

福島県中東部,阿武隈高地にある町。 1955年小野新 (おのにい) 町と飯豊 (いいとよ) ,夏井の2村が合体して成立。中心街小野新町は旧磐越街道の宿駅で,田村氏の城下町として発達。周辺はかつて馬産,養蚕の地であった。タバコのほか,米,野菜,キノコシイタケの栽培が盛ん。製材,金属関連の工場が立地し,石材の産出と加工も行なわれる。東部には湯沢温泉がある。諏訪神社の大スギは天然記念物。 JR磐越東線,磐越自動車道が通る。面積 125.18km2。人口 9471(2020)。

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