20世紀日本人名事典 「小関観三」の解説
小関 観三
コゼキ カンゾウ
明治〜昭和期の陸軍中佐,パイロット
- 生年
- 明治23(1890)年3月9日
- 没年
- 昭和4(1929)年4月18日
- 出身地
- 秋田県岩城町
- 旧姓(旧名)
- 大平
- 経歴
- 大平発三の二男に生まれ、13歳の時に旧亀田藩士で陸軍軍人だった小関重次の養子となる。明治43年士官候補生として歩兵第26連隊に入隊し、44年歩兵少尉に任官。大正2年第2期航空術修業将校に選ばれて所沢気球隊に入隊、第1次世界大戦に青島(中国)に従軍、陸軍飛行史上初の空中戦を行う。大正9年所沢‐京城(朝鮮)間の横断飛行競技で各機が不時着する中、小関機だけが順調に飛行し、最初の着陸地大邱までの所要時間は3時間58分と最短で、日本の航空史にとどまる記録で優勝し名声を高める。のち大尉となり、高等飛行の妙技はますます世間の注目を集め、同年9月13日第1回国勢調査宣伝のため福士中尉と共に東京上空で宣伝ビラを散布しながら36回の宙返りを行い観衆を魅了し、17日には405回の宙返りをするなど花形パイロットとして知られた。10年フランス駐在武官を務め、15年少佐、のち中佐。昭和4年4月岐阜県の各務原飛行場で編隊長として航空部隊の指揮中に墜落し殉職した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報