少林寺村(読み)しようりんじむら

日本歴史地名大系 「少林寺村」の解説

少林寺村
しようりんじむら

[現在地名]倉吉米田町よねだちよう・米田町二丁目・上灘町うわなだちよう新陽町しんようちよう

駄経寺だきようじ村の東、竹田たけだ(天神川)小鴨おがも川によって形成された氾濫原に位置する。小鴨川水系の絵下谷えげだに川が北流する。古くは正林寺とも記した。倉吉往来(鹿野道)が通り、倉吉から一里にあたる一里塚が設けられていた。村名は小林寺と号する寺院があったことによるという。「伯耆民談記」によると、山名時氏の重臣で当地の領主小林修理亮は明徳の乱の折京都で討死、修理亮の妻が菩提を弔うために同寺を建立したという。一時衰退したが、寛永年中(一六二四―四四)倉吉大岳だいがく院の可春が再興、しかしのちに火難に遭って廃寺になったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む