国指定史跡ガイド 「尖石石器時代遺跡」の解説
とがりいしせっきじだいいせき【尖石石器時代遺跡】
長野県茅野(ちの)市豊平の八ヶ岳西山麓にある縄文時代中期の集落跡。近年は浅い沢をはさんだ与助尾根(よすけおね)遺跡と一括して扱われる。尖石遺跡は明治時代から知られていたが、1929年(昭和4)、地元の代用教員だった考古学者宮坂英弌(みやさかふさかず)によって石囲い炉跡が発掘され、本格的な発掘調査が行われた。竪穴(たてあな)式住居跡33ヵ所をはじめ、53ヵ所の炉跡や列石、竪穴群、埋甕(うめがめ)などが発掘された。また、この集落遺跡が広場を中心にしてU字形に配置されていることから、日本で最初の縄文時代の集落の存在が確認され、日本の原始集落研究のさきがけをなした。土器・石器・土偶・装身具などが出土し、尖石縄文考古館には、力動感あふれる豪壮な土器や黒曜石で作られた精巧な石器など2000点余りの遺物が展示されている。1942年(昭和17)に国史跡に指定され、1952年(昭和27)には特別史跡になった。尖石遺跡の名称は、遺跡の南端斜面にある三角錐の岩の名からとられた。これは古くから地元の人々に「とがりいしさま」と呼ばれ、祀られてきた岩で、右肩に人工的な磨り跡があり、縄文時代の人々が磨製石斧(せきふ)を作る際に砥石(といし)として利用した痕であるといわれる。JR中央本線茅野駅から諏訪バス「尖石縄文考古館前」下車、徒歩すぐ。