尚敬(読み)しょうけい

改訂新版 世界大百科事典 「尚敬」の意味・わかりやすい解説

尚敬 (しょうけい)
生没年:1700-51

琉球王国国王。第二尚氏王朝13代目の王として1713年,13歳で即位し,19年中国(清)皇帝の名で派遣された海宝らによって冊封を受け〈琉球国中山王〉として正式に認知された。その治世は39年の長期におよんだが,蔡温(さいおん)ら有能な政治家の補佐を得て政治的安定が達成され,〈近世琉球の黄金期〉と称されている。とくに,文運・芸能の隆盛にはめざましいものがあり,幾多のすぐれた人材が輩出した。学問の領域における程順則,蔡温,文学の領域における平敷屋朝敏(へしきやちようびん),識名盛命(しきなせいめい),芸能分野の玉城朝薫(たまぐすくちようくん)などはその代表的な人物であり,沖縄文化はこの時期に爛熟期を迎えることになった。だが,隆盛の一方で農村では経済的疲弊が深く進行しはじめており,その矛盾は次の尚穆(しようぼく)王のときに一気に顕在化しはじめる。その人となりを伝えるエピソードはほとんどないが,ものしずかで聡明な国王だったと後世史書は伝えている。王家の墳墓玉御殿(たまうどうん)(玉陵)に葬られている。
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朝日日本歴史人物事典 「尚敬」の解説

尚敬

没年:尚敬39.1.29(1751.2.24)
生年:尚貞32.6.19(1700.8.3)
18世紀前半,琉球王国の第二尚氏王朝13代の王。在位39年(1713~51)。尚敬7(1719)年,中国(清朝)皇帝の派遣した冊封使(正使海宝,副使徐葆光)により琉球国王としての地位を公式に安堵された。蔡温を重用し,政治,経済,文化の各面で王国の振興に努め,活気あふれる治世であった。その治世は琉球のルネサンスと形容されるほどに文運が隆盛した時期で,歴史編集事業(『琉球国由来記』など)をはじめ学問,文学,美術,工芸,芸能などの各分野に逸材が輩出した。特に,玉城朝薫に代表される芸能分野は活発で,三味線音楽,舞踊,演劇などの琉球古典芸能の基礎はこの時代に確立した。学問や芸術を愛し,儒教的な基礎を身につけた人物であった。これら文運隆盛の背景には地方行政の刷新や産業の振興があり,歴代国王のなかでも名君誉れが高い。徐葆光が著した見聞記『中山伝信録』は,琉球に関する入門書として近世日本でも広く読まれた。<参考文献>田名真之『近世沖縄史の諸相

(高良倉吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

367日誕生日大事典 「尚敬」の解説

尚敬 (しょうけい)

生年月日:1700年6月19日
江戸時代中期の琉球王国の第二尚氏王朝13代の王
1751年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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