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蔡温 さいおん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蔡温
さいおん

[生]天和2(1682).9.25. 那覇
[没]宝暦11(1761).12.29. 那覇
向象賢 (しょうじょうけん) に次ぐ琉球近世期の政治家。首里王府の三司官 (国王のブレーン) となり,向象賢の改革路線を継承,発展させる。中国,清に留学,実学を学び,林政,農政,土木治水,工芸などに功績をあげる。

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デジタル大辞泉の解説

さい‐おん〔‐ヲン〕【蔡温】

[1682~1761]琉球王国の政治家。琉球名は具志頭文若(ぐしちゃんぶんじゃく)。蔡温は唐名。清の福州に留学、帰国後、尚敬王の後見役として業績をあげた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

蔡温 さい-おん

1682-1762* 琉球の政治家。
尚貞王14年9月25日生まれ。清(しん)(中国)に留学し,帰国後,尚敬王の国師となる。のち25年間三司官(大臣)をつとめ,羽地(はねじ)大川の改修など治水,農政,殖産興業,外交などで手腕を発揮。在任中,平敷屋朝敏(へしきや-ちょうびん)らの処刑事件がおきた。尚穆(しょうぼく)王10年12月29日死去。80歳。字(あざな)は文若(ぶんじゃく)。名のりは具志頭親方(ぐしちゃんうぇーかた)。著作に「簑翁(さおう)片言」「独(ひとり)物語」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

蔡温

没年:尚穆10.12.29(1762.1.23)
生年:尚貞14.9.25(1682.10.25)
近世琉球の政治家。具志頭親方を称した。字は文若。父は久米村の蔡鐸,母は葉氏真呉瑞。尚貞40(1708)年中国福州の琉球館に2年間滞在,地理学などを学ぶ。帰国後の尚益2(1711)年,王世子尚敬の師となったが,翌年尚敬が王位についたため国師職(国王の教育係)となった。それに伴い家宅を首里に賜り遷居した。尚敬7(1719)年,尚敬王の冊封使渡来の際,評価(冊封使節一行の持ち渡り品の王府一括買い上げ)でもめたが,交渉に当たり無事決着させた。同12年正史『中山世譜』を重修。同16年三司官(本土の家老などに相当する首里王府の要職,定員は3人)となる。同20年他の三司官などと連名で領民向けの道徳経倫の書『御教条』を発布。同22年首里王府を批判する密書が薩摩在番奉行所へ投げ込まれるという事件が起き,首謀者の和文学者平敷屋朝敏,友寄安乗ら15人を処刑。蔡温の施策に対する反感とする見方もある。同23年羽地間切(現在の名護市)の羽地大川改修の命を受け,8月から11月まで現場で指揮に当たった。また用材確保のため山林の保護育成に取り組み,「杣山方式帳」「山奉行所規模帳」を編集,公布した。また同年慶長以来の検地に取りかかっている(~同38年,元文検地と呼ばれる)。尚穆1(1752)年三司官を辞したが隠居は許されず,5年後,冊封を終えてようやく隠居が認められた。著作に『家内物語』『独物語』『自叙伝』など和文の書,国政や儒学的思索を説いた漢文の『図治要伝』『簔翁片言』など多数ある。 島津侵入後の琉球社会の改革に先鞭をつけた向象賢(羽地朝秀)の路線を受けて近世琉球を確立した人物と評されている。経済的には王府の自給体制を高めるため,殖産興業の振興を図り,農業の改良に取り組み,山林の保護育成を図った。また国家経営の理論的支柱に儒教をすえ,士民へも儒教道徳の浸透を図った。のちのちまで「蔡温以後三司官は4人いる」といわれたが,その路線と著作を通して,後代の当路者が国家運営に当たったことを象徴している。<参考文献>真栄田義見『蔡温』,崎浜秀明『蔡温全集』,伊波普猷他『琉球の五偉人』

(田名真之)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

さいおん【蔡温】

1682‐1761
近世琉球王国の代表的な政治家。琉球に定住した中国人の居留区久米村の名家に生まれ,中国に留学して実学を学んだ。帰国後,国王専任の教授職につき,才能を認められて久米村出身者としては異例の出世をとげ,王都首里に屋敷を与えられたばかりでなく,1728‐53年には最高の政治的ポスト三司官に就任して国政に敏腕をふるった。彼の政治は,琉球における近世体制の総仕上げという特徴をもち,行政制度や農村におよぶ細かな指示がなされたほか,生産力の安定化策,治水対策,山林資源保護対策などあらゆる分野におよんでおり,また儒教的なイデオロギー政策にもとくに力を注いでいる。

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大辞林 第三版の解説

さいおん【蔡温】

1682~1761) 琉球王国の政治家。三司官の一人。名は具志頭文若ぐしちやんぶんじやく、具志頭温。蔡温は唐名。中国に留学。帰国後、尚敬王のもとで重用され、農林業・治水などの殖産興業や行政制度の整備など、国政全般に腕をふるい新体制を完成させた。著「農務帳」ほか。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蔡温
さいおん
(1682―1761)

近世琉球(りゅうきゅう)王国の政治家、学者。蔡温は唐名(とうめい)で、琉球風の名のりは具志頭親方文若(ぐしちゃんうぇーかたぶんじゃく)(親方は位階名)。琉球に帰化した中国人の居留区である久米(くめ)村の名門蔡氏の出で、私塾に学んだあと、1704年(宝永1)に命ぜられて福州(中国福建省)に渡航し、任務のかたわら同地で実学を修得した。帰国後、国師(こくし)職(国王の教授役)に任ぜられたあと、16年(享保1)使節団の副使としてふたたび中国に赴き北京(ペキン)まで旅している。25年、父蔡鐸(さいたく)の手になる正史『中山世譜(ちゅうざんせいふ)』に大幅な改訂を加え、史書の編述の面でも並々ならぬ才を発揮した。28年には久米村人としては異例の抜擢(ばってき)を受け三司官(さんしかん)(3人制の最高の政治ポスト)に就任、首里(しゅり)に屋敷を与えられている。時の尚敬(しょうけい)王に重用され、53年(宝暦3)に三司官を辞任するまでの25年間国政に敏腕を振るった。行政制度の整備、殖産興業、儒教イデオロギーにたつ思想政策など、その施策はあらゆる領域に及んでいるが、とくに杣山(そまやま)(国用の林野)対策や治水事業などの面で優れた手腕を発揮している。35年に諸官を率いて自ら指揮した羽地(はねじ)川改修事業は有名である。多くの令達を出したほか、『簑翁片言(さおうへんげん)』『醒夢要論(せいむようろん)』『独(ひとり)物語』『自叙伝』など多くの著作を残している。三司官引退後も国事の重大事に参与し、死後、「蔡温以後三司官は四人制になった」と評されるほど後世の施政に強い影響を及ぼしている。琉球の近世体制の完成者と評価されるにふさわしい傑出した政治家であった。宝暦(ほうれき)11年12月29日、79歳の高齢でこの世を去った。[高良倉吉]
『沖縄歴史研究会編・刊『蔡温選集』(1967) ▽崎浜秀明編著『蔡温全集』(1979・本邦書籍)』

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世界大百科事典内の蔡温の言及

【琉球】より


[近世体制の確立]
 薩摩,幕府に従属してその基本制度を受け入れつつ中国との伝統的な関係も維持して,そのうえで国家的存在としての王国の存続を図るという条件下に琉球はおかれた。この条件下で施政を担当した代表的な政治家が向象賢(しようじようけん)(1617‐75)と蔡温(さいおん)(1682‐1761)の2人である。向象賢(羽地朝秀(はねじちようしゆう)ともいう)は,琉球の伝統的な諸制度をいかに日本の幕藩体制に見合うように切り換えるか,そのために首里王府をいかに強化するか,同時にまた生産をいかに増加させるか,といった基本的課題を担当した。…

【林政八書】より

…琉球政府が18世紀の中ごろに林業政策上だした7編の布令と,1869年(明治2)に森林官の職務怠慢を戒めるためにだした布令1編を加えたものをさしていう。18世紀の中ごろ琉球政府の最高責任者であった蔡温は,清や島津藩に対し発言権を高めるためには,経済復興が第1であるとし,その基本を林業振興においた。すなわち築城用材,大型船舶用材の確保に重点をおき,さらに住民の燃料,建築材の自給に努めた。…

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