近世琉球(りゅうきゅう)王国の政治家、学者。蔡温は唐名(とうめい)で、琉球風の名のりは具志頭親方文若(ぐしちゃんうぇーかたぶんじゃく)(親方は位階名)。琉球に帰化した中国人の居留区である久米(くめ)村の名門蔡氏の出で、私塾に学んだあと、1704年(宝永1)に命ぜられて福州(中国福建省)に渡航し、任務のかたわら同地で実学を修得した。帰国後、国師(こくし)職(国王の教授役)に任ぜられたあと、16年(享保1)使節団の副使としてふたたび中国に赴き北京(ペキン)まで旅している。25年、父蔡鐸(さいたく)の手になる正史『中山世譜(ちゅうざんせいふ)』に大幅な改訂を加え、史書の編述の面でも並々ならぬ才を発揮した。28年には久米村人としては異例の抜擢(ばってき)を受け三司官(さんしかん)(3人制の最高の政治ポスト)に就任、首里(しゅり)に屋敷を与えられている。時の尚敬(しょうけい)王に重用され、53年(宝暦3)に三司官を辞任するまでの25年間国政に敏腕を振るった。行政制度の整備、殖産興業、儒教イデオロギーにたつ思想政策など、その施策はあらゆる領域に及んでいるが、とくに杣山(そまやま)(国用の林野)対策や治水事業などの面で優れた手腕を発揮している。35年に諸官を率いて自ら指揮した羽地(はねじ)川改修事業は有名である。多くの令達を出したほか、『簑翁片言(さおうへんげん)』『醒夢要論(せいむようろん)』『独(ひとり)物語』『自叙伝』など多くの著作を残している。三司官引退後も国事の重大事に参与し、死後、「蔡温以後三司官は四人制になった」と評されるほど後世の施政に強い影響を及ぼしている。琉球の近世体制の完成者と評価されるにふさわしい傑出した政治家であった。宝暦(ほうれき)11年12月29日、79歳の高齢でこの世を去った。
[高良倉吉]
『沖縄歴史研究会編・刊『蔡温選集』(1967)』▽『崎浜秀明編著『蔡温全集』(1979・本邦書籍)』
(田名真之)
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近世琉球王国の代表的な政治家。琉球に定住した中国人の居留区久米村の名家に生まれ,中国に留学して実学を学んだ。帰国後,国王専任の教授職につき,才能を認められて久米村出身者としては異例の出世をとげ,王都首里に屋敷を与えられたばかりでなく,1728-53年には最高の政治的ポスト三司官に就任して国政に敏腕をふるった。彼の政治は,琉球における近世体制の総仕上げという特徴をもち,行政制度や農村におよぶ細かな指示がなされたほか,生産力の安定化策,治水対策,山林資源保護対策などあらゆる分野におよんでおり,また儒教的なイデオロギー政策にもとくに力を注いでいる。学者としても多くの足跡を残し,父蔡鐸(さいたく)編述の史書《中山世譜》に大幅な改訂を加えて面目を一新させたほか,《御教条》(1732布達)の立案者としても知られ,《自叙伝》ほか多くの著作を残している。琉球ふうの名のりを具志頭文若(ぐしちやんぶんじやく)ともいう。
執筆者:高良 倉吉
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1682.9.25~1761.12.29
首里王府の三司官で近世琉球を代表する政治家。具志頭(ぐしちゃん)親方。渡来閩人(びんじん)三十六姓の一つ蔡氏の出。父は蔡鐸(さいたく)。1708年進貢の存留通事として福州に渡り,2年間滞在,地理学を学ぶ。帰国後,世子尚敬(しょうけい)の侍講となり,13年尚敬即位後は国師となる。19年の冊封使渡来の際,その持渡品の買上げで活躍,28年三司官に任じられた。日本・中国の間にある小国琉球の舵取り役として,儒教理念にもとづく国家運営をめざし,国民の教化,社会改革,一連の杣山政策,羽地(はねじ)大川改修などの治水事業と幅広く活躍。「中山世譜」の改訂をはじめ,著作「独物語」「蓑翁(さおう)片言」「自叙伝」など多数。
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[近世体制の確立]
薩摩,幕府に従属してその基本制度を受け入れつつ中国との伝統的な関係も維持して,そのうえで国家的存在としての王国の存続を図るという条件下に琉球はおかれた。この条件下で施政を担当した代表的な政治家が向象賢(しようじようけん)(1617‐75)と蔡温(さいおん)(1682‐1761)の2人である。向象賢(羽地朝秀(はねじちようしゆう)ともいう)は,琉球の伝統的な諸制度をいかに日本の幕藩体制に見合うように切り換えるか,そのために首里王府をいかに強化するか,同時にまた生産をいかに増加させるか,といった基本的課題を担当した。…
…琉球政府が18世紀の中ごろに林業政策上だした7編の布令と,1869年(明治2)に森林官の職務怠慢を戒めるためにだした布令1編を加えたものをさしていう。18世紀の中ごろ琉球政府の最高責任者であった蔡温は,清や島津藩に対し発言権を高めるためには,経済復興が第1であるとし,その基本を林業振興においた。すなわち築城用材,大型船舶用材の確保に重点をおき,さらに住民の燃料,建築材の自給に努めた。…
※「蔡温」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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