玉陵(読み)タマウドゥン

デジタル大辞泉 「玉陵」の意味・読み・例文・類語

たま‐うどぅん【玉陵】

沖縄県那覇市にある、琉球王国第二尚氏王統の墓。16世紀初頭、尚真王によって、父の尚円王を葬るために造られた。沖縄戦で大きな被害を受けるが、戦後に修復され、昭和47年(1972)全体が国指定史跡、玉陵墓石牆せきしょうが国の重要文化財建造物)。平成12年(2000)「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産文化遺産)に登録された。→琉球

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日本歴史地名大系 「玉陵」の解説

玉陵
たまうどうん

[現在地名]那覇市首里金城町一丁目

首里城外西方に造営された第二尚氏(一四六九年王位に就いた尚円に始まる)の歴代王とその一族の墓。玉御殿とも記され、タマウドゥンとよばれる。「球陽」尚真王二五年(一五〇一)条に見上森みやーぎむい陵に葬られていた先王尚円を、中山坊内の地(首里大街に臨み、東隣は天界寺)に新たに造営した玉陵へ移葬したとみえ、この年尚真によって築造されたと推定されている。玉陵の外庭に建てられた玉御殿碑文(県指定文化財)には、弘治一四年(一五〇一)九月大吉日の紀年銘があり、被葬者について「首里おぎやかもいがなしまあかとだる」(国王尚真)が、自身と家族のうち世添御殿の大按司オギヤカ(尚真の母)・聞得大君の按司オトチトノモイカネ(尚真の妹)・佐司笠の按司マナベダル(尚真の娘)中城の按司マニキヨダル(尚真の五男尚清)・今帰仁の按司マモタイカネ(尚真の三男尚韶威)・越来の按司マサブロカネ(尚真の四男尚竜徳)金武の按司マサブロカネ(尚真の六男尚享仁)豊見城の按司オモヒフタカネ(尚真の七男尚源道)ら尚真と、母・子女ら九名の子孫に限定すると規定している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「玉陵」の解説

たまうどぅん【玉陵】


沖縄県那覇市首里にある墓所。首里城西方の丘陵上にある琉球王朝第二尚氏歴代の陵墓で、尚真王が父王尚円の遺骨を見上森(みあげむい)から改葬するために創建したといわれる。沖縄の墓制上きわめて貴重な遺跡であることから、1972年(昭和47)に国の史跡に指定された。外郭にある1501年建立の石碑「たまうどぅんのひのもん」によれば、尚円王統のうち、尚真、尚真の妹、尚清および尚清の兄弟ら9人の子孫は永久に玉陵に葬られる資格ありと定め、尚真の長子である尚維衡(いこう)とその子孫のみ除外しており、王位継承問題と関連があると考えられている。陵墓は広さ約1ha、内外2郭で構成されるが、それぞれアーチ式の石門をもち、各郭は琉球石灰岩の相方積みによる高い石垣で画されている。内郭の庭には珊瑚砂利が敷き詰められ、正面にある墓堂は3室に分かれ、東側の室が洗骨後の王および王妃、中央の中室は洗骨までの遺骸を安置する室で、西側の室は正嫡以外の家族の洗骨後の遺骨を納めた。第2次大戦でかなり破壊されたが、内外郭と墓堂は威風を保っている。2000年(平成12)に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、世界遺産に登録された。那覇バスターミナルから沖縄バス「首里城前」下車、徒歩約3分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

デジタル大辞泉プラス 「玉陵」の解説

玉陵

沖縄県那覇市にある墓。「タマウドゥン」と読む。1501年に築造された琉球王国の王族の墓。世界文化遺産に登録された「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産のひとつ。2018年、国宝に指定された。

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