朝日日本歴史人物事典 「尭恕入道親王」の解説
尭恕入道親王
生年:寛永17.10.16(1640.11.29)
江戸前期の天台宗の僧で,妙法院第34世。諱は完敏,字は体素,逸堂と号す。後水尾上皇の第10皇子。母は園基音の娘の新広義門院国子。幼名は照宮。正保4(1647)年12月尭然入道親王の資となり妙法院に入室,慶安3(1650)年2月親王宣下を受け,8月に得度,次いで妙法院を相続した。寛文3(1663)年,延宝4(1676)年,同7年と3度天台座主を勤めた。元禄4(1691)年,寺内に鉄竜庵を建てて移り,同6年隠居の勅許をうけ獅子吼院と号した。天台教義に精通し,教義の研究や経典,史伝などの講習に努め,また多くの編著書を残している。詩文や画技,花道にも優れた才を持った。寛文3年から元禄8年までの日記『逸堂座主日次記』は当時の社会・文化史の好史料となっている。<著作>『智者大師別伝新解』『五部大乗経捷径録』『法苑珠林捷径』『僧伝排韻』『逸堂集』<参考文献>妙法院史研究会編『妙法院史料』1巻3号,和田英松『皇室御撰之研究』,村山修一「妙法院門跡尭恕法親王とその時代」(『史林』56巻4号)
(岡佳子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報