尾崎喜久(読み)オザキ キク

20世紀日本人名事典 「尾崎喜久」の解説

尾崎 喜久
オザキ キク

明治〜昭和期の女性 小説家・尾崎紅葉の妻。



生年
明治5年(1872年)

没年
昭和28(1953)年1月21日

出生地
東京

旧姓(旧名)
樺島

経歴
新見藩のお抱え漢方医である樺島玄周の娘で、東京・芝浜松町にあった旧新見藩主・関氏の邸で育つ。その近所には、のちに小説家となる尾崎徳太郎(紅葉)が住んでおり、幼い頃からの知り合いであった。明治24年すでに文壇で確固たる地位を築いていた紅葉と結婚し、4人の子供を産む。しかし、36年には夫と死別したために収入が途絶え、遺児を抱えながら貧困の生活を送った。太平洋戦争中は千葉の片田舎で困窮していたが、それを知った小説家・菊池寛の呼びかけで全国から生活資金が集められた。また、昭和28年病床についた際にも志賀直哉・広津和郎が発起人となり、見舞金が贈られたが、間もなく病没

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾崎喜久」の解説

尾崎喜久 おざき-きく

1872-1953 明治-昭和時代,尾崎紅葉(こうよう)の妻。
明治5年生まれ。もと備中(びっちゅう)(岡山県)新見(にいみ)藩の漢方医樺島玄周の娘。明治24年結婚,36年紅葉と死別し,4人の子供をかかえ生活にくるしむ。戦時中,千葉県下で苦境にあった際には,菊池寛や志賀直哉(なおや)らの援助をうけた。昭和28年1月21日死去。81歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android