武術の居合術が見せ物化したもの。太平の時代に武術一般が見せ物化したなかで、長い刀を気合いとともに抜き放つ居合抜きがことに人気を集め、寛文(かんぶん)(1661~1673)ごろから浪人者によって始められた。これに目をつけた越中(えっちゅう)(富山)出身の反魂丹(はんごんたん)売りの香具師(やし)松井一家が、薬売りの人集めに居合抜きを見せるようになったのは元禄(げんろく)・宝永(ほうえい)(1688~1711)のころであった。享保(きょうほう)(1716~1736)の松井源左衛門や松井源水の代々が有名で、源水はのちには曲独楽(きょくごま)を演じた。江戸・浅草奥山の源水に対し、蔵前を本拠にした長井兵助も歯みがき粉を売る人寄せに居合抜きを見せ、明治まで5代の名を伝えた。
[織田紘二]
…それに加えて安価な居合練習刀が普及したことなどにより,子どもや女性の愛好者も加わって居合道人口は急激に増加した。【中林 信二】
[居合抜き]
江戸の太平期に入り,居合が見世物化した大道芸。元禄・宝永(1688‐1711)のころ富山の反魂丹売(はんごんたんうり)の香具師(やし)松井一家が,人寄せに居合抜きを演じた。…
…松井家の元祖玄長は,越中礪(砺)波(となみ)の出身で,霊薬反魂丹(はんごんたん)を創製し,2代目道三のときに富山袋町に移住して,武田信玄から売薬御免の朱印を受けた。延宝・天和(1673‐84)のころに,4代目玄水が江戸へ出て反魂丹を売りはじめたが,その宣伝,販売のために,箱枕をいろいろと扱う曲芸〈枕返し〉や居合抜きなどを演じた。享保(1716‐36)ごろには,居合抜きのほか曲独楽(きよくごま)(独楽)を演ずるようになり,将軍家重の浅草寺参詣のおりには上覧に供して御成(おなり)御用の符を拝領した。…
※「居合抜き」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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