山ノ下(読み)やまのした

日本歴史地名大系 「山ノ下」の解説

山ノ下
やまのした

[現在地名]加賀市大聖寺神明町だいしようじしんめいちよう

石堂いしどう山の東に続く丘陵北麓にある寺院と下級武士の町。大聖寺藩の城下整備に伴い、禅宗・浄土宗・日蓮宗の寺院がこの地に集められやま下寺したてら町ともいわれた。天明六年(一七八六)の大聖寺絵図には西から神明宮・白山社・本光ほんこう寺・宗寿そうじゆ寺・正覚しようがく寺・全昌ぜんしよう寺が描かれ、越前えちぜん町から入って門前を西から東に通り、下屋敷したやしきに抜ける道の両側に足軽・徒士屋敷が並ぶ。下屋敷との境に木戸があった。法華宗本門流本光寺は日隆の開基で、寛永一九年(一六四二)現在地を拝領して堂宇を建立、初期の檀那に家老脇田帯刀らがおり(「本山寺院明細帳」本光寺文書)、後方山上に適塾塾頭渡辺卯三郎の碑がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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