大聖寺町(読み)だいしようじまち

日本歴史地名大系 「大聖寺町」の解説

大聖寺町
だいしようじまち

大聖寺川下流、錦城きんじよう(古城山)東麓にあった大聖寺藩邸を中心に発達した城下町。北は低い台地が日本海との間に横たわり、東には大聖寺川・動橋いぶりはし川の灌漑する平地が開け、南方は越前との国境をなす刈安かりやす(五四七・七メートル)から延びる江沼えぬま丘陵の丘端となっている。大聖寺川を下ると藩の外港堀切ほりきり(塩屋湊)により外海に通じ、北陸街道が町の中心部を通って宿駅が置かれていた。

大聖寺の町の基礎ができるのは天正一一年(一五八三)丹羽長秀の与力として大聖寺に配された溝口秀勝の頃からと考えられるが、本格的な都市建設は大聖寺藩成立以後とみられる。寛永一六年(一六三九)加賀藩三代藩主前田利常は三男利治に七万石を分与、利治を藩主とする大聖寺藩が興された。利治は古城こじよう山の東麓、現錦城小学校の地に藩邸を造営、その東に城下町が形成された。天明六年(一七八六)の大聖寺絵図によると藩邸の北側は大聖寺川本流が流れ、南側と西側に熊坂くまさか川とその支流をめぐらして堀とし、また藩邸の正面である東側(八間道)と南側(馬場)家老や重臣たちの屋敷で固めた。上級武士はおもになか町・鷹匠たかじよう町・耳聞山みみきやまなど、比較的水害を受けにくい場所に住んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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