20世紀日本人名事典 「山下現有」の解説 山下 現有ヤマシタ ゲンユウ 江戸時代末期〜昭和期の僧侶 浄土宗管長;知恩院門跡。 生年天保3年8月29日(1832年) 没年昭和9(1934)年4月11日 出生地尾張国赤見村(愛知県) 別名名=俊敬,沢賢,字=葵堂,号=謙蓮社 経歴天保11年伊勢松坂の樹敬寺・梧雲の下について9歳で得度。15歳の時、東京の増上寺山下谷の賢従学寮で修学、23歳で山下学寮安祥室の寮主となる。明治3年山口・善性寺に浄土宗学校を設立した。7年東京・幡随院、12年愛知・円成寺、20年京都・知恩寺62世、30年東京に戻り増上寺76世などの住職を経て、35年京都の浄土宗総本山知恩院79世門主となり、浄土宗管長に就任。大正4年大典に仏教各宗派代表として参列した。著書に「桜寧邨舎詩」(全2巻)がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山下現有」の解説 山下現有 やました-げんゆう 1832-1934 幕末-昭和時代前期の僧。天保(てんぽう)3年8月29日生まれ。東京の増上寺学寮にまなぶ。京都知恩寺,増上寺の住持をへて,明治35年知恩院79世,浄土宗管長となった。昭和9年4月11日死去。103歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。名は俊敬,沢賢。号は謙蓮社孝誉。著作に「桜寧邨舎詩」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by