日本歴史地名大系 「山佐」の解説 山佐やまさ 島根県:能義郡広瀬町山佐中世の所領単位で、現在の下山佐・上山佐・奥田原(おくたわら)一帯に比定される。当初は富田(とだ)庄に含まれていたが、鎌倉末期に富田庄地頭富田義泰の子秀清が山佐を譲られて独立した所領となり、秀清は山佐氏を名乗った(続群書類従本「佐々木系図」)。さらに秀清の子孫は上山佐・高木(たかぎ)・田原・下山佐・福依(ふくより)(福頼)など山佐内の地名を称しており、山佐氏内部での分割相続の進展がうかがわれる。文明二年(一四七〇)六月二日の京極生観(持清)袖判知行分押置人注文(佐々木家文書)に山佐五郎左衛門尉の名がみえ、この頃山佐氏ら出雲の国人の一部が一揆して尼子氏に敵対していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by