20世紀日本人名事典 「山内壮夫」の解説 山内 壮夫ヤマノウチ タケオ 昭和期の彫刻家 生年明治40(1907)年8月12日 没年昭和50(1975)年4月11日 出生地北海道札幌市 学歴〔年〕東京高等工芸学校彫刻科〔昭和4年〕卒 主な受賞名〔年〕国画奨学賞〔昭和7年〕「男の坐像」 経歴昭和4年国画会展初入選、8年会友、12年本郷新、明田川孝らと同人に推された。14年彫刻部同人会員とともに国画会を脱会、新制作派協会彫刻部を設立、同会に作品発表。戦後建築と彫刻の協働を唱え、モニュマンに「夕張市労働会館外壁浮彫」、長崎国際文化会館の「平和の母子像」、新潟市庁舎の「家族」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山内壮夫」の解説 山内壮夫 やまのうち-たけお 1907-1975 昭和時代の彫刻家。明治40年8月12日生まれ。昭和4年国画会展に「女の首」が入選し,のち同人となる。14年新制作派協会彫刻部の創立に参加し,以後同会を舞台に活動。長崎国際文化会館の「平和の母子像」や「夕張市労働会館外壁浮彫」などの屋外作品で知られる。昭和50年4月11日死去。67歳。北海道出身。東京高等工芸(現千葉大)卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by