本郷新(読み)ホンゴウシン

デジタル大辞泉 「本郷新」の意味・読み・例文・類語

ほんごう‐しん〔ホンガウ‐〕【本郷新】

[1905~1980]彫刻家北海道の生まれ。高村光太郎師事。新制作派協会彫刻部創設に参加代表作に戦没学生記念像「わだつみのこえ」「氷雪の門」など。

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20世紀日本人名事典 「本郷新」の解説

本郷 新
ホンゴウ シン

昭和期の彫刻家 日本美術家協会理事。



生年
明治38(1905)年12月9日

没年
昭和55(1980)年2月13日

出生地
北海道札幌市

学歴〔年〕
東京高等工芸学校彫刻科〔昭和3年〕卒

主な受賞名〔年〕
野間美術賞〔昭和19年〕「援護の手(母子像)」,日本平和文化賞〔昭和25年〕「わだつみのこえ(戦没学生記念像)」

経歴
新制作協会彫刻部創設の一人。具象彫刻一筋に生き、ヒューマニズムに裏打ちされた作品を多く残した。母子像「援護の手」で野間美術賞、戦没学生記念像「わだつみのこえ」で日本平和文化賞受賞。このほか石川啄木像、北海道開拓記念碑風雪群像」、樺太慰霊碑「氷雪の門」、「無辜の民」シリーズなどの代表作がある。札幌・宮の森のアトリエは「札幌彫刻美術館」として運営されている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「本郷新」の意味・わかりやすい解説

本郷新
ほんごうしん
(1905―1980)

彫刻家。北海道札幌生まれ。1928年(昭和3)東京高等工芸学校彫刻部を卒業国画創作協会に新設された彫刻部に出品、1934年会員となった。1939年、佐藤忠良(ちゅうりょう)、舟越保武(やすたけ)らと新制作派協会彫刻部を創立し会員となった。戦没学生記念像『わだつみのこえ』などモニュメンタルな造形を志向し、木彫も手がけた。パリアントワープなどの国際彫刻展にも出品し、日本国際美術展優秀賞、日本平和文化賞などを受賞した。作品の多くは本郷新記念札幌彫刻美術館に収蔵されている。

三木多聞 2017年1月19日]

『本郷新著『彫刻の美』(1980・中央公論美術出版)』『匠秀夫監修『本郷新彫刻集』(1981・求龍堂)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本郷新」の意味・わかりやすい解説

本郷新
ほんごうしん

[生]1905.12.9. 札幌
[没]1980.2.13. 東京
彫刻家。 1928年東京高等工芸学校卒業。高村光太郎に師事し,以後国展に出品。 29年頃から仏像研究を始め,一方,ロダン,ブールデル,マイヨールらの西欧の巨匠の作品に強く刺激される。 34年国画会会員となったが 39年退会し,舟越保武らと新制作協会彫刻部を設立。この頃から記念碑的な彫刻理念に基づく現代彫刻を志向し,また平和運動に積極的に参加して 52年『わだつみのこえ』 (立命館大学) を完成,日本平和文化賞を受賞。数々の美術賞の選考委員をつとめた。主要作品『嵐の中の母子像』 (広島) ,『風雪の群像』 (旭川) ,『石川啄木』 (函館) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本郷新」の解説

本郷新 ほんごう-しん

1905-1980 昭和時代の彫刻家。
明治38年12月9日生まれ。高村光太郎に師事。国画会をへて,昭和14年新制作派協会彫刻部創設に参画。おおくのモニュメントを制作し,戦没学生記念像「わだつみのこえ」で28年日本平和文化賞受賞。昭和55年2月13日死去。74歳。北海道出身。東京高等工芸(現千葉大)卒。作品はほかに「氷雪の門」など。

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367日誕生日大事典 「本郷新」の解説

本郷 新 (ほんごう しん)

生年月日:1905年12月9日
昭和時代の彫刻家。日本美術家協会理事
1980年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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