朝日日本歴史人物事典 「山内道慶」の解説
山内道慶
生年:元禄8.5(1695)
江戸中期の養蚕家。仙台藩本吉郡入谷村(宮城県志津川町)肝煎。通称甚之丞。当時養蚕業の先進地であった伊達郡で技術を学び,農家の副業として入谷村や周辺郡村への普及に努めた。正徳年間(1711~16)藩が京都から織物師小松弥右衛門を招き,織物業の普及に取り組んだことも,道慶の活動に一層はずみをつけた。養蚕業の普及のみならず,私財をなげうっての飢饉救済,道路工事などにも力を尽くし,終身名字帯刀を許されている。その子甚兵衛道恒も養蚕業の普及に努め,天明3(1783)年父の志を明らかにする目的で『民家蚕桑記』を著した。父子2代にわたる功績により藩士に取り立てられた。本吉地方の生糸は「金華山」の銘で藩御用品となり,仙台平の原料となるとともに京都西陣にも送られた。寛政2(1790)年,村民の手で如意輪観音堂が造られ,蚕観音と呼ばれた。<参考文献>『伊達世臣家譜続編』,『志津川町誌』3巻
(齋藤鋭雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報